ちがう街
月灯りの影こわさぬように
岬のはずれにボートを停めた
一人だけ ウエットスーツのあなた
少し無口になって 海の中消える
愛を感じてる 二人を結ぶものは
目には映らない他の力ね
小さな気泡が せつない言葉みたく
力なく届くのを ただじっと見守るのよ
遠くの燈台廻る光が
二人の夜には木洩れ日みたい
夢の糸 たどる貴方がふいに
波間に顔を出して ごめんねと言った
愛を信じてね 貴方が静かな海
帰れない時は濡れた身体を
私の両手で抱きしめてあげたいの
波音のララバイを
聞きながら眠りなさい
菊池桃子「ふたりのナイト・ダイブ」
わかったことがある。
元気になる、なんて
大丈夫になる、なんて
はじめから無理ってこと。
考えてみれば、すぐにわかることだった。
世間一般では、とか
若くして亡くなったのではないのだし、なんて
わたしは相変わらず保守的で
世間からの見え方ばかり気にしている。
ちがう街に、降り立ったのだ。
そこにはそこのルールがある。
わたしがやっていることは
エゴの押しつけだ。
治りたい、大丈夫だ、もう元通り
呪文のようにそんな言葉を繰り返し
昨日笑っていたと思えば
今日は暗い部屋の中でひとり
動くことも出来ない。
それをエゴと言わずして
何としよう。
振り回される周りが気の毒だ。
どうせ立ち直れないなら
立ち直るのはもうやめる。
落ちるところまで、落ちる。
ただ黙って。
シャープに、ストイックに。
村上春樹作品の主人公が
地下に潜るときのように。
もうわたしは治らないし
大丈夫じゃないし
元気なわけない。
そうだ。
そうなんだ。
お母さんもちがう街にいる。
わたしもまた前とはちがう街にいる。
お互い辛いけれど、生きていれば
いつかまた会えるかもしれない。
馬鹿げているとわかっている。
でも今の私が生きのびていくためには
どうしても嘘が必要なのだ。
たとえばカメを飼って
それがお母さんだと誰かが言ってくれたなら
どんなに楽になるだろう。
それは、悪いことだろうか。
本当のことではないとわかっている。
でも、受け入れやすい方の現実を
選ぶのはそんなにいけないことだろうか。
お母さんはちがう世界で
なんの仕事をしているだろう。
お父さんお母さん弟さんには
もう会えただろうか。
皆の話には、わたしも登場するのだろうか。
そんなことを考えていると
楽なのだ。とても。
そんな時だけ
苦しみが休んでくれるのだ。
…遠くの燈台廻る光が
二人の夜には木洩れ日みたい…
わたしは灯台みたいになりたい。
もう以前の世界には戻れないけれど
いろんな世界の真ん中の海に立つ
灯台みたいになりたい。
ちがう街に降り立ったわたしは
もう自分のルールを振り回さないことにする。
灯台になれたら
お母さんもわたしがここにいると
はっきりよくわかるだろうから。
涙を流したままでもいいから
ひとつところにしっかり足を踏ん張って
ここにいる、と決めている
灯台になりたい。
お母さんのことも
わたし自身のことも
わたしの優しい旦那さんのことも
今はただ、ちゃんと見つめて
照らしてあげることの出来る
灯台になりたい。