水中哲学
水の中にいる。そのことをすぐ忘れてしまう。
そうだった。ここは水の中なんだった。
理解しよう。説明しよう。
ちゃんとしよう。矛盾をなくそう。
そうしながら、わたしは
ほんとうはそんなこと必要ないことを知っている。
知っていて、でもこの世界では
そうしなくてはならないことも知っている。
ここからここまで
わたしはあなたを愛している。
ここからここまで
わたしはまた亡くなった人を思い出している。
ここからここまで
わたしはたまに自分を憎むことが必要になる。
でもすべては
水中で起きていることだ。
わたしはどうせ砂地にいつか立つことはない。
わたしは海の生き物だから。
だから、ゆっくりやればいいのだ。
水中では哲学が役に立つ。
美しいか美しくないか。
正しいか罪か。
生か死か。
そういうこと以外を考えるのが
水中哲学だ。
例えば
今わたしは哀しいのか愉しいのか。
それは雨が降りそうだからなのか
恋をしているからなのか。
詩を上手く書けるかどうか
その理由。
ブローティガンの「愛のゆくえ」みたいに
いつか答えが見つかるのだろうか?
わたしにも?
それはいつ。
例えば、誰かがわたしを批判しても
わたしはそれを知ってみたい。
例えば、誰かがわたしを想うのなら
それを尊重してみたい。
そうしてどこかうわの空で
お茶を飲んでいたい。
冷たくても、他人でも
愛している。
愛されている。
あるいは時に、突き崩される。
何があっても
わたしは水の中にいる。
魚として。誇りをもって。
水中哲学。
そんなことを考えながら
お酒を飲んでいる時が
とても幸福だ。
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