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そよそよ族
別役実には
「そよそよ族」シリーズがある。
そよそよ族は
別役さんが考え出した架空の民族だ。
太古の昔に生きていて
失語症なので言葉は話せない。
おなかがすいたら
餓死することで空腹をあらわす
と書かれている。
そよそよ族にとっての伝達方法は
言葉ではなく
「存在」なのだという。
それを読んだとき
ああ…と気づくことがあった。
別役さんの脚本を演じているとき
演じすぎだなと思うことが
よくあるからだ。
もっと違う
もっと平凡で
もっとつぶやきのような
誰が聞くというのでもないような…
たぶんそうなのになあ…と。
その違和感はあたっていたようだった。
わたしはそよそよ族ではないから
言葉で伝えようとしてしまう。
解釈し理解し
読みこなそう、伝えよう、演じようともがく。
それがきっと、違うのだ。
面白い。
なんて、面白いのだろう。
本当に、宮沢賢治の生まれ変わりみたいに
ピュアで唯一無二の
おかしみと奥深さに感激する。
別役さんがどうしてあんなに
「小市民」にこだわったか。
お味噌汁を自分が少し多く飲んだから
おまえももう少し飲みなさい、という
夫の台詞を
そんなこまやかな台詞をどうして書くのか。
それがいちばん大切なことだからなのだ。
天皇制よりも戦争よりも安保闘争よりも
もしかしたら
ずっと大切なことだからなのだ。
そのことに気づいて、涙が出る。
愛の深さに、涙が出る。
別役さんは前半の30ページだけを
何回も何回も書きなおすそうだ。
プロットもたてない。構想もない。
ラストはいつも決まっていない。
すべては前半の30ページ次第なのだそうだ。
「リンゴが美しいのではない。それはそこに在ることが美しいのだ。」
別役さんはそう言った。
宮沢賢治もリンゴを美しいと話した。
存在することが美しい。
存在することを一生懸命にやる。
そんな芝居もあるのかもしれない。
別役さんが理想とした
「平常心の演劇」の意味が
少し近い距離で感じられる。
存在、という新しい言葉が
またわたしの中に
風を吹かせている。
どこに行くのか、わからない。
200人が演劇の観客の限界だ、と
別役さんは言った。
今回のお客さまは10人。
わたしはショービジネスのあり方を
やっと捨てて
存在として、お客さまを待ちたいと
思いはじめている。
それが出来るだろうか。
わからない。
ただ風が吹いているだけだ。