愛によると
愛を携えて来た人がいて
その人はどうしても
そこに居たいのだと言う。
いつまでの滞在なのだろう。
旅人がいつくのは嫌だ。
彼らはいずれ出てゆく。
どんな人も皆わたしを忘れる。
皆は大人だから、忙しいから。
好きなようにすればいい。
居たいだけそこにいればいいと
わたしは言った。
少し色がついて
電気がついたみたいで
わたしもその方が気が紛れたから。
愛が何か
もうわからないのだ。
いろんな人がいろんなことを言う。
愛しているとか
好きだとか
大切だとか。
でもそれは期限つきだ。
いつだって。
期限と条件つきの愛。
それは何だろう。
まだしも、犬が可愛いから可愛がる。
そんな軽々しい愛の方がマシだ。
ずっと傷つかない。
犬のように撫でられていればいい。
その方がずっと簡単だ。
わたしは
愛されなくても人を愛す。
もうわたしを忘れたのだと
はっきりわかっていても
気づかないふりをする。
もう疲れたのだ。
そういう空しさに
反応することすら
億劫だ。
愛ならば
どんな雑な愛でもかまわない。
いつくだけ、いつけばいい。
欲しいものをあげよう。
いくらでも。
わたしは沢山のものを失くし
尽くしきって
今ほとんどゴミのように
空っぽだけれども
そのわたしが欲しい人がいるのなら
あげよう。
こんなもので良ければ。
だってそれは
どんなに小さくても
愛だからだ。
世界には
愛を忘れる人が多すぎる。
その罪は
決して糾弾されない。
道を外れた愛だけが
週刊誌に載るだけだ。
でもそれも愛だったのに。
愛以外のものは何か
明らかにしなくてはいけない。
小さな愛か正しい愛かどうかを
考えている今は場合ではない。
愛以外のものは何だ。
それを除外するのだ。
土の中の石ころを取り除くように。
そうして醜いのもキレイなのも
愛だけが残る。
ほとんど何も残らないのだ。
そうしてしまえば。
取り除く前から
ずっと前から、気づいていたこと。
人は言う。
愛は危険だ。
その手に持っている愛を
早く捨てろと。
わたしは思う。
でも愛なのに?と。
これは皆がどこかで
捨ててきた愛で
今流れ着いて
わたしのところに
戻って来た。
愛は愛なのだ。
誰が何と言おうとも。
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