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暴かれるのは誰か

見えてくる。
少しずつ。

ミステリーの哀しさ。
押し寄せる津波のような、竜巻のような
叩きつける豪雨のような
壮絶な苦しみと痛み。
それが感じられてくる。

思い出した。
シャーロック・ホームズシリーズを読んだ時も
江戸川乱歩を読んだ時も
アガサ・クリスティを読んだ時も
綾辻行人や森博嗣を読んだ時も
不思議に感じたことがあったのだ。

普通の小説を読んでいる時よりも
温度を感じる、ということだった。
暖炉の火に隠されて何かが燃やされれば
熱い、と感じた。
雪の中に死体を埋めるシーンでは
冷たい、と感じた。

みんなが嘘をついて黙っているシーンでは
肌が粟立つような気がした。
嘘がバレて、罪が顕になる瞬間には
足元の床が抜けるような気がした。

まるで親戚の話であるかのように。
知っている感じがした。
嫌だけど
この嫌な感じを確かに知っている。
そう思った。

綺麗事ではない。
ミステリーに描かれることは
実は他のどんな小説よりも
生々しく
わたしたちの現実に肉薄している。

「死者について語れ。
その言葉はどんなものも、決して無意味ではない」

ああ。
こんなところにもヒントが落ちている。

ミステリーとは
死者についての物語である。
たったひとりの人間についての
物語だ。

その人を愛し愛され
憎み憎まれ
奪い奪われ
騙し騙され

殺されてしまったもの。

暴かれるのは誰か。

それは己自身であり
その己自身とは
死者が死ななければならなかった
理由でもあるのだ。

儀式のように
神の領域のように

法ではないもので
人を裁き
真実を表出させる。

犯人が誰であろうとも
わたしもまたその人を
殺めたのだ。

そしてまたその人に
わたし自身も何かを
奪われたのだ。

犯人はひとりではない。
誰も無関係ではない。
そのことに気づいた時
物語は
違う展開を見せはじめる。

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