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祝祭
あなたがいるから、わたしは歌える。
そんな気がする瞬間がある。
ふと空に向かって手を掲げる時
ああこのダンスを
わたしは知っていると思う瞬間がある。
本番が近づいて来た舞台の
床の冷たさは
わたしの内臓にまで到達し得る
唯一の言葉だ。
演劇とは、台詞を覚えることではないのに
どうしたって台詞を覚えることになる
この世の中で
果たしてすべての責任をとることを
わたしは諦めきり
捨て去りきることが出来るのだろうか。
ただ死者のために
降霊し
賑やかしのために
歌い、舞い、立ち
そして泣き、笑い、鼓舞し
それはすべて
お金を払っているお客様のためではなく
生きている人と
死んでいる人の
間にある橋を
作り出すためなのだと言ったら
気が狂ったと思われるだろう。
そう。
わたしは狂っている。
生まれた時から
ずっと、ちゃんと狂っている。
父も母も祖父も祖母も
それを善し、としたのだ。
おかしな家だった。
今思えば。
狂うことは、理性だ。
そのことに気づいてから
もう永い時間が経った。
それを人間界に共有しようと
藻掻くこともせずに
諦め、死んだ魚のように
わたしは生きてきた。
芝居を辞めた日から、ずっと。
自分がいかに狂っているかを
隠して生きはじめてから、ずっと。
狂うことでしか
生き物は舞えない。
舞えなければ、命はいずれ尽きるのだ。
舞い、歌い、叫び
神を呼び込み、邪の者を払い
滂沱の涙と枯渇した嗤いの
そのすべてが
「虚」であると。
それが体に思い知らされて
はじめて
真に人間足りうる
わたしたちよ。
「虚」を振り回し
「嘘」を顔に塗りたくって
叫べ。
おまえは醜い。
そして、醜いゆえに
そんなにも純真無垢だ。
人間とは
そんなにも悪魔的で
胸を掻きむしるほどに
愛する価値がある
生物だ。
祝祭、のその後に
何が生き残るのか
わたしは知らない。
明日のわたしを
もうわたしは
預かり知らない。
それゆえに人は昔
役者を
河原乞食と呼んだ。
俳優はだから
「人非ざる者」と書くのだ。
人非ざる者として
祝祭を開く。
美しい祝祭になるといい。