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「信じる」と「期待」


何かの記事で「人を信じるとは何か。期待しているのとどう違うのか。」というのを見たので自分なりに考察してみる。(自分の思考の整理のために)

まず単純にググってみる。

信じる (しんじる)
1.正しいと考える。うそ偽り無く確かに正しいまことの事だと強く思い込んで受け入れる。
2. 当てにするに足りる頼もしい相手であると見込んで心を寄せる。信を置く。信用する。信頼する。
 3.(この世のことわりを超えた力を持つとされる神や仏などといったものや その教えなどを)うそ偽りなく確かに正しいものとして疑う事無く受け入れ、いざというときに頼るに足りる頼もしいより所であると当てにしてこれに心を寄せて依より恃たのみ、素直に身を任せてそれに従おうとする。信仰する。信心する。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BF%A1%E3%81%98%E3%82%8B

期 待(きたい)
1.好ましい状態の実現を心の中で待ち望んでいる様子。
2.過去のデータなどをもとに理論的に想定すること。

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%9F%E5%BE%85

ここでは、人、家族や友人などに向けた感情で考えてみます。
たとえば友人。「あの人を信じている」と「あの人に期待している」では
どう違いが出てくるか。

〇友人で例題を出してみる。

「友人は旅行に行った。お土産を買ってきてくれると信じている」
「友人は旅行に行った。お土産を買ってきてくれると期待している」

この状態は信じているともし買ってこなくてもがっかりしなくて、
期待しているとがっかりしてしまいそうです。
上記引用には書いてないが期待には「結果(利益)を待ち望んでいる状態」があるように感じます。
それに対して信じているというのは「相手の普段の行動や言動が自分にとって好ましいのでそば(物理的ではなく)にいる状態」のような気がします。
一緒にいる事ですでに好ましいので別に心にダメージはありません。
補足としては、信じている状態でも期待もする。というダブルな状態もあるでしょうけど。うーん、ややこしくなってきた。

〇仕事場で考えてみる。

別に期待という言葉が悪いという意味では考えていません。
例えば仕事で新人に業務を任せたとします。
「新人にこの仕事を任せよう。大きなミスなく終われる事を期待している」
まだこの状態には「信」がありません。
でも仕事なので結果は待ち望んでいます。
一方、長く仕事を供にしてきた同僚や部下だとどうなるか。
「この人ならこの案件を任せられる。きっとこの人なら大丈夫だろう」
この状態はこれまでの相手の言動を見てきた結果から信じている状態ではないかと思います。たとえ結果が思わしくなかったとしても「今回はどうした?何かあったのか?」となりそう。

「信じてたのに!」とか「とかお前を信じた俺がバカだった!」とかいう人もいるでしょうが、もちろん他人を完全に理解する事はできないから、相手の本質を見落として信じてしまう事だってあるし、
信じられた方だっていつも万全の状態で生きている訳ではないのでミスる事だってあるでしょう。

〇子供を例にあげてみる。

「宿題をせずに遊んでいて、怒ってしまった」
「約束を破ったでしょ!信じてたのに!」

先に言っておきますがこのセリフを言った人を責めている訳ではありません。私も似たようなことを言ってしまう時がありますので。

このセリフを言ってしまう時とはどういう状態だろうか。
これは信なのか期待なのか。
子供のこれまでの何を見て「この子は遊ばずに宿題を終わらせる」と信じるのだろうか。自分が子供だった頃だって宿題なんかせずに遊びたかっただろうに。

予想として
1つ目、「宿題をしてから遊ぼう」という約束を破られた。自分との約束事を軽んじられた事に対する怒りor悲しみ。
2つ目、宿題をせずに学校に行くと教師に怒られ学校で辛い思いをするんじゃないかという心配。
3つ目、夕方の時間配分として宿題をしてから残った時間で遊んでくれないと、やる事がどんどん後に押していき夕食、お風呂、就寝が遅くなって困るから。

他にもあるかもしれないが、
自分の中ではこれらは至極当然な親の感情だと思います。
この感情を細かく子供にこういった理由で怒っていますと伝えられたらいいけど、そんなのをゆっくり説明する暇もないし、子供それを理解できる年齢じゃないと意味がない。
結果ただ怒るだけという状態になってします。

〇ブランドについて

信じるのは、信を得るまでの期間が必要な気がします。

以前、どこかの質問で「天皇は何故必要なのですか?」とか「天皇の歴史は世界的に長くてすごいらしいけど何がすごいのかわからない」とありました。
まぁ、たくさんの人がたくさんの理由をお答えになっていました。
質問のフレーズがなかなか攻撃的に見えましたので結構な人が勉強不足からくる短絡的な物言いにお怒りでしたが…

私なりに考えてみた時に歴史が長いというのは信用を得られる土壌があるのではないかと思いました。
例えばルイヴィトンなどのブランド。長い歴史の中でずっと続いてきて顧客に「この商品は大丈夫」と信頼を得てきています。
みんなそれなりに歴史をみて暮らしているでしょう。
ソニー、パナソニック、トヨタ、ホンダ、キャノン、任天堂
それぞれにここなら大丈夫という信頼が。

国内外問わず、長い歴史での天皇家のあり方にそれぞれの感じ方で信を置きそばにいる。敬意を払っているように思います。
質問者はそれを知らない。そして知らなければ信じる事が出来ないのでしょう。知らないなら知らないでいいのですが、知らないから要らないは、さみしくかなしく思います。

自分の生活や人生をより良くしたい時、心が安らげる信が置けるものが多い方が良いです。それにはやっぱり多くの者や物を知り感じて信を増やしていけたら良いと。

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