ときどき日記(621)道東の春の大雪で列車は立ち往生
時刻表復刻版の旅(12)
が、しかし。が、しかしだ。この晩は運悪く北海道地方は春の大雪に見舞われ、「根室本線」の新得あたりから大幅に遅れはじめた。ついに池田、今では池田ワインで有名な池田で立ち往生してしまった。上りの「急行まりも」は積雪で一旦釧路へ引き返したそうだ。私の乗った下りの「急行まりも」は行くことも引き返すこともできず釧路方面からの除雪を待つしか無く、延々と待たされた。
朝食も昼食もとれず、腹はペコペコ。町も駅も稼働しておらず、売店もやっていない。そのまま午後2時か3時頃になり、やっと釧路方面からの除雪が完了し、上りの「急行まりも」を見送って、我々の列車は釧路へ向かった。
釧路へは夕方到着。おそらく10時間程度遅れての到着だったのではと思う。乗務員さんたちもの飲まず食わずだったらしく、釧路到着の折に車内アナウンスで乗客にお詫びやねぎらいの言葉を語ってくれ、「私たちも何も食べてません」とも言っていた。今ではこういうことを言うと「自分のことは言うな」的な批判がありがちだが、少なくとも当時、私は乗務員の方々に頭が下がった。
釧路にも「日本食堂」はあり、手厳しい言い方にはなるが、大衆食堂然とした店で、就職先の営業店舗としては少しがっかりした。
やはり大雪の影響は大きく、特に道東地方でそれも湿雪には手こずったようで、釧路までたどり着いたものの、根室へは何時に運行再開するか分からない状況だった。2~3時間は釧路で待たされた。やっと運転が再開されても急行の運行はなく、ひたすら普通で行くしかなかった。
上尾幌か尾幌どっちの駅だったか覚えていないが、10代の女子がひきつけか何かで失神してしまい、お母さん一人では降ろすことができなくなってしまい、何人かで抱えて降ろしてあげたのをよく覚えている。抱え方が悪かったせいで、背中とか肌が見えてしまっているのに、そのまま雪の上に寝かせる形になってしまい気の毒だった。小さい駅だったが、駅員とかいたのだろうか。
根室行きの普通列車だったが、見切りで発車したのだろうか。なかなか出発できない駅もあり、意外だったのは、吹きだまりか何かだったのだろうか、乗っている列車が一旦バックして、エンジン全開で前進することもあった。実際に見たわけではないが、あれはどう考えても〝強引な〟除雪だったと思わざるを得ない。
また、雪の降らない地方と降る地方では集合時間に対する考え方が違うと聞いたことがあり、こうやって雪で鉄道が止まったりすれば、集合時間はそんなに厳格なものではなくなってくると言うのも理解できた気がする。そんな中、近くに座った家族連れが葬儀に参列するようだった。それに間に合わなかったようで、それでも頑張って行く風だった。無邪気に上の子と言ってもそんなに大きい子ではなかったからか、「○○ちゃんて声をかけても返事しないんだよ」と下の子に話をしていた。
列車では時々他人の悲劇を垣間見ることがある。逆に喜劇に出会えることもある。列車は人間ドラマも載せている。
根室には夜遅くに着いた。予定よりも12時間以上遅れての到着になった。駅から程ない距離のところにある民宿に泊めてもらった。足止めを食った先客と相部屋になった。