ときどき日記(19)座席車で8泊中4泊の無謀な旅①
11時半現在、室温33度。
難しいことを考えられるような気温ではない。
もちろん万年筆で下書きしてからなど、手汗がひどくてできない。
だから思い出話に花が咲く。
大学の卒業式を前に流氷を観に行った。昭和58年3月のことだ。
御用達の「夜行急行 八甲田」ではなく、常磐線経由の「夜行急行 十和田」で北へ向かった。常磐線経由なので、「八甲田」よりも時間がかかったような記憶がある。青森到着まで予定では12時間ぐらいかかる列車だったのに、仙台付近で夜間工事が長引き、手前の駅で長らく停車していたのを思い出す。
青函連絡船への接続時間が短くなったため、乗船名簿の用紙を車掌に求めた。
「あおもーり あおもーり」
船だからか、銅鑼が鳴ってからの出航になる。
津軽海峡は天気が悪く、風速も20㍍とアナウンスしていた。
結構揺れた。
座席ではなく、カーペットの船室で体を伸ばして横になった。
船が揺れるものだから、頭が下になったりで酔いそうになった。
函館には、昼頃到着。
すぐにホームには入れてもらえず、一旦、改札の外に出された。
首都圏のように常に改札が開いているわけではなく、列車の出発時刻に合わせて改札が開く。みんな良い席に座りたいから、老若男女、全員、構内ダッシュ。
夕方、札幌到着。
私は昔っから、あのディーゼルカーの音がたまらなくスキだ。