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ときどき日記(614)急行八甲田、4人掛けを6人で座る

時刻表復刻版の旅(8)

「東北本線」はなんと言っても「急行 八甲田」だ。

初めて乗ったのは大学2年の時、ねぶた祭の頃だった。上野駅でほぼ昼頃から並んで席を確保した。乗車率100%は優に超えていた。通路にも座る人が居て、向かい合わせで4人掛けの席の人たちは全員窓側に詰めて座り通路側に少しのスペースを作り、そこに肘掛けを抱えるようにして足は通路に投げ出して座った。4人掛けを6人で座ったのだ。19時過ぎに出発して終着青森は翌朝6時過ぎ、11時間の座席夜行の旅だ。冷房があったのだろうか、窓を開けていたような気がする。

私は進行方向に向いた窓側に席を確保でき、その正面に同い年か1コ下の女子が座り、その娘は叔父さんに並んでもらったそうだ。ねぶた祭があるからどうしてもこの列車で帰りたかったそうで、ラジカセが印象的でノーランズとかアラベスクとかを聴いていた。青森まで一緒させてもらい、住所と電話番号を交換してもらった。ある体育大学の短大に通っているそうだ。そんな娘が私などと長く交際してくれるはずもなく、すぐに会えなくなった。

6時過ぎに青森に着くと7時半に青函連絡船に乗れた。この時が初めての乗船で、電車ではなったことがないが、時々、それも運転してもらっているクルマで酔うことがあり、乗り物酔いを恐れてグリーン船室をとった。船底よりも上の方が酔いにくいと何かで聞いていたからだ。乗船名簿を書くことで沈没を連想してヒビり、出航の時には銅鑼が鳴り、なんだか遠いところへ行くのだなという気分になったものだ。このときは学校の夏休みまっただ中で、観光客も多く、連絡船も通常よりも東側の航路をとり、まさかり型の下北半島の刃の部分にある仏ヶ浦の奇岩がよく見える航路をとってくれた。

都合4往復乗船したが、津軽海峡の風速が20メートルを超え時化気味のようなことがあったり、携帯電話のない時代、つまり無線電話がない時代に船内の公衆電話から家に面白がって電話をかけたり、食堂でラーメンを食べたり、コインシャワーに入ったり、いろいろ楽しかった。

何もかもが高速の現代ではこういう楽しみ方は適うまい。
 

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