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ときどき日記(638)天北線、興浜北線、興浜南線はすでに風前の灯火だった

時刻表復刻版の旅(16)

朝、おそらく8時39分北見枝幸発に乗って、9時23分浜頓別着、12時03分まで稚内行きはないので、それまで待ったのだろう。14時11分稚内着。「天北線」も恐ろしく本数がなかったのだ。

ふと思い出したが、奈良県の天理にお参りに行ってきたというご婦人と座席が隣り合わせになって、お話をさせてもらった。話は弾んで、「泊まってってもいいわよ」と誘われたが、さすがに丁重にお断りしたのを思い出した。あれ、ついて行ったらどーなったんだろう。

今考えると、「天北線」も「興浜北線」も「興浜南線」もすでに風前の灯火だったのかもしれない。

稚内では宗谷岬を訪れた。バスに乗って着いたときが、ちょうど日没の頃だったと思うので、興浜北線から天北線への乗り換えは、その通りだったと思われる。

宗谷岬からの帰りのバスには中学生ぐらいの集団が乗っていて、どうやら3月下旬の日本最北の地で、丸1日かけて宗谷岬まで歩いてきたみたいだった。何の団体だかわからなかったが、歩かされたのだろう。なんだか気の毒だった。

天気が良ければ樺太が見える丘というか山なのか。そこへ登ったが、翌日の夜は札幌から夜行に乗ったことを考えると、翌日の午前中に時間が作れているので、そのタイミングで訪れたと思う。ケーブルの乗客は私一人で、若い女子のガイドが一人同乗した。なんだか申し訳ないというか、気恥ずかしかった。

札幌発21時33分荷物列車併結の普通夜行に乗る予定になっていたから、稚内は11時55分発の「急行 天北」に乗ったはずだ。札幌着18時58分、21時33分まで待った。

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