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ときどき日記(620) 日本から鉄道でヨーロッパへ

時刻表復刻版の旅(11)

しばらく復刻版の「索引地図」を眺めた後、今の索引地図を見ると、「何かの間違え」にしか見えない。スッカスカだ。数えるほどしか路線がない。

国際情勢や日ロ関係が良好だったなら、宗谷海峡と間宮海峡に連絡船を渡すことで、ユーラシア大陸やヨーロッパと鉄道で行き来できたはずだし、昨今の地球温暖化、気候変動を考えれば明らかに鉄路の方が良い。ロシア側がそういうことを考えているという記事を見たこともある。日本側は「宗谷本線」が風前の灯火だ。これが廃止されてしまえば、こういった壮大な夢もはかなく消え去る。

鉄道はみんなのものだ。儲けるためのものではない。儲からないと言って廃止してしまえば、夢も希望も、そして何より利便も消え去る。

「北海道ワイド周遊券」俗に「全道ワイド」と呼んでいた。これを使えば道内の特急の自由席まで乗れた。83年3月当時、その4月から「日本食堂」への入社が決まっていての旅行だったから、もちろん食堂車や駅の食堂に興味があった。さっそく函館から札幌へは「函館本線」「室蘭本線」の特急、おそらく「北斗」に乗車して、食堂車へ行ってみた。日本食堂の大卒事務職は5年間の研修中に北海道へ派遣されることはなかったが、それでも興味の対象であることに変わりは無かった。

時刻表を眺めていると、函館から網走へ10時間近くかけて走る「おおとり」という特急もあった。当然だよね。これにも食堂車が付いている。

夕方、札幌に到着し、2泊目の車中泊に備えて札幌の地下街をうろついて時間を潰した。「急行まりも」の出発が22時頃だった。この急行は翌早朝に釧路に到着する急行で、そのまま釧路から「急行ノサップ」に乗って根室まで行く予定だった。そして、その日のうちに日本最東端の納沙布岬を訪れる予定だった。

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