これまでの私
なかなか普通の人に言っても分かって頂けないこと。
寝る時以外、ずっと動悸が鳴り止ます、寝る時以外、ずっと緊張しているということ。
信号待ちの時も、電車を待っている時も、どこに立っていればいいのか、ずっと分からなくで挙動不審になる。
駅のホームで座っている時も、つま先はどっちの方向に向けるべきなのか、手の指は曲げているべきなのか、伸ばしているべきなのか
…そんなことばかり考える毎日。
人の話を聞いても、何ひとつ入ってくるものはなく、本を読んでも、ストーリーなどというものは、何ひとつ入ってこない。結果、人嫌いになり、本嫌いになった。
電車の中で座っている時は、電車にいる人々の顔色を伺っているような時間がずっと続いていた。
緊張が消えることはない世界。
人と話すときも、動悸と緊張で、話したいことはもとより、伝えるべきことなどというのもは何ひとつない。
経験してきた職場で、いつか上司に緊張するということを打ち明けた事があった。上司は言った。緊張しないようにすればいいと。そんな事を言われても、四六時中緊張している身としては、なんの解決にもならない。
この先は、反対に私が普通に生きている人の理解できないところを書いていく。
感謝するということ。
動悸と緊張が鳴り止まない中で、感謝などという文字を入り込ませる隙間などというものはない。どんな小さな事でもいいから感謝すると言われても、そんな余裕は1ミリもない。
他愛もない会話
他愛ない会話という言葉の意味が分からない。動悸と緊張が鳴り止まない状況だと、全てにおいて、緊張状態にあるので、どうでもいいことなんて何ひとつ頭に浮かぶことはない。
もう遅いので、そろそろペンを置くとしよう。