ASD当事者から見た【ないたあかおに】

ないたあかおに
名作ですよね
村人と仲良くなりたいあかおにのために、友だちのあおおにが身体を張って嫌われ役を演じた話。
あおおにのおかげで、あかおには悪者を追い払った英雄として、村人と友だちになれました。
しかし、悪者になったあおおには、村から去ることになりました。あかおにがいつまでも村人と友だちでいられるために。

あおおにの自己犠牲精神は正しかったのか
村人と仲良くなるのに他に方法はなかったのか
友だちを得る代わりに友だちを失うラストは幸せなのか

道徳の授業か、読み聞かせの時間か、泣いたあかおにを初めて知った正確なとしは覚えていません。
ただ、あかおにとあおおにの結末はこれで良かったのか。みんなはどう思う?みんなは2人はどうすればよかった?と先生が聞いてきた気がします。

みんなは、考えます。
この物語をどう捉えるのか。
この結末は幸せになれるのか。

誰かがいった気がします。
「あおおにが自分のためにわざと嫌われるふりをしたことを村人に話して、村人とあおおにが仲良くなれるよう、あかおにが話せばいいと思う」
このように、2人がこれからも会えるための今後とる方法を提案していた気がします。
なかには、村人と仲良くなろうと考えずあおおにを大切にすればよかったんだと話してた子もいた気がします。

あかおにが村人と友だちになりたいことは悪いことじゃない。けど、あおおには自分の身を徹してまで成す必要はなかったのではないか。2人が心から納得できるやり方は過去にもこれからにもあるのではないか。

みんなのなかに本当の幸せを得たり考えたりする空気が流れてきました。
それが、先生のひいては絵本の目的だったと思います。
とても、良い時間だったと思うのです。
そのなかで、
わたしは、なんの感想も浮かべませんでした。
なんだか、ぼうとしてました。

誰かと仲良くなりたいという欲が薄い感覚があります。
おそらく、幼少期からそうなのでしょう。小さいころからわりと人間関係については受け身で、来る者拒まず去るもの追わず主義でした。
だから、村人と仲良くなりたいあかおにの欲も、あかおにと離れなければいけないあおおにの悲しさも、理解できませんでした。
わたしは、意見を挙げることはできないまま、みんなの意見にとりまえず賛成していました。そうして、やり過ごしたのです。

絵本や教科書の教訓が納得できない共感できない感想が思い浮かばないはASDあるあるなのではないかなと密かに思っています。
ASDでなくとも、親のやることを美談とする道徳も反抗期や家庭環境の問題真っ只中の子どもにはひどい生殺しの授業になるかもしれない。
差別反対の意味を込めてるであろうお話しが、そういう現場にいきあったことがないため、遠い国のお話のような、現実にある実感が持てない経験もあるでしょう。

だけど、共感力が薄いASDは物事や課題に感想を持てないという経験が多いと思います。



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