リオの風と共に過ごした日々④完結編:時は流れ再び縁が繋がる
リオで過ごした日々の思い出話は、今回が最終話になります。
ホテル暮らしで外食中心なのですが買い物は必要です。
近所のスーパーで水やお菓子を買います。
日本ではありえないと思いますが、リオでは現金で支払うとお釣りはテキトーです。
同じものを同じ金額で払っても、お釣りは多い日もあれば少ない日もあります。
サンパウロから出張で来て頂いてる通訳さんに聞きました。
リオでは硬貨のお釣りは正確でなくてもいいそうです。
通訳さんは会社で旅費を毎週申請して現金で受け取ってます。
「先週少なかったと言ったら、今週は多くくれた」とニコニコしてます。
大企業ですらこんな感じです。
これがブラジル人なのです。
少額のお金はどうでもいいみたいです。
通訳さん曰く、ブラジル人は引き算ができないそうです。(マジか?😭)
引き算ができないから、足し算するそうです
10レアルのパンを買って、7レアル払ったら、8,9,10と指を折りながら1づつ足して商品金額になった指の本数を数えてお釣りが出ます。
「別にロジックはどうでもええねん。
目の前にレジという素晴らしい機械があるやろ!
余計な計算せんと、数字のボタンを押せ!」
と言いたいです。
ブラジルと聞くと日本より何十年も遅れている発展途上国をイメージすると方もおられると思いますが。
キャッシュレス決済など日本のほうが圧倒的に遅れています。
今でこそ日本ではやっと大人で使える人が少し増えましたが、現金で払っている人は多いです。
ブラジルでは子供もデビットカードで決済してます。
まぁ釣り銭がテキトーなのでキャッシュレスが安心か危険かわかりませんが。
ハンバーガーを食べていると選挙立候者があちこちで握手してます。
さすが私のような外国人は選挙権ないので興味なさそうです。
選挙もスマホで投票する人が大多数です。
海外旅行先からでも投票できます。
日本も選挙はスマホやパソコンでやりたいですね。
せっかくの日曜日に、わざわざ投票所まで行く時間がもったいないです。
手書きで紙に書いて投票箱にいれて、紙を集計するという作業に疑問を感じないのでしょうか。
日本は行政サービスもブラジルよりIT化が遅れています。
ブラジルでは高齢者も含めて国民全体で使いこなせている人が多く感じました。
当時のリオでの生活で日本は先進国でなかったと、つくづく感じました。
帰国が近づいてきました。
日本に帰るのでお土産もそろそろ買っておきます。
日本の友達がブラジルらしい服がほしいというので見に行きました。
レジで店員さんにお金を払おうとすると。
若い女性店員さんが、意味ありげな笑みを浮かべて「誰に買うんだ?」と聞いてきます。(初対面です)
リオでは、とにかく話しかけられます。
「ただの友達です」と答えたら、いつ出会ったとか、相手の年齢など聞いてきます。
あげくに「やらしい」と言われました。
苦笑しながら「ほっといてくれ」というと、
「頑張れ」と言われました
何を頑張るねん!
とにかく、ブラジル人は陽気です。
市場のような所に行ってました。
ブラジル人は話しかけてきます。
お店の人ではなく、通行人やお客さんが、私に話しかけてきます。
「チナ?」と聞かれます。中国人に見えるのですね。「ノー ジャポネーズ」と言いました。
グッドと親指を上げてニッコリされて立ち去られました。
私の言葉が合っているのか不明です。
テキトーなことを堂々と言えるので生活には全く困りませんでした。
私は「外人だろうが宇宙人だろうが気にしないタイプ」と言われたことあります。
それにしても、東洋人=中国人と思われているのですね
考えてみれば、世界の人口比では4人に1人は中国人です。
つまり、4人家族で生活していると、1人は中国人という計算になります。
ピザ食べ放題のお店に行きました。
日本ではピザは結構高いですよね。
この国ではそれが食べ放題です。
色んな種類のピザをいっぱい食べます!
モグモグといっぱい食べます。
すると、近くでバキ! と大きな音がします。
「ワッハッハー」と聞こえます。
推定体重150キロのブラジル人男性の重さに耐えられずに椅子が潰れました。
私はあまりのおかしさに、ピザを噴き出しそうになりました。
これはコントか?
なんちゅう国だ。
ブラジルの主食は肉です。
ご飯はおかずとして出ます
私も体重増えました。
日本でもマテ茶は人気です。
本場ブラジルのマテ茶は、色んな飲み方します
普通に熱い紅茶もありますが、炭酸の清涼飲料水としてマテ茶の炭酸ジュースをよく飲みました。
とにかく、「シャー マチ」と言えばマテ茶が注文できます。
ポルトガル語て、単語レベルで発音も綴りも英語に近いのでなんとなくわかります
警察は英語でPOLICEですが、ここではPOLICIAです
会社の受付の方は、日系二世の若い女性です。
少し日本語がわかるそうで、毎日受付にマテ茶を差し入れに来てはポルトガル語を教えてもらいました。
トランジットでドバイで、日本行きの飛行機に乗り換えました。
離陸して安定飛行になったので、手荷物をクローゼットから降ろそうして悪戦苦闘していましたら、CAさんが助けてくれました。
日本人女性でした。
私のスマホカバーを見てニコニコしながら話かけてきました。
CAさん「ガンダム好きなんですね」
普通に見るとガンダムのスマホカバーに見えないです。
普通の人はただの模様にしか見えないはず。
雲「このマニアックなネオジオンの紋章を知ってるの?」
CAさん「私はそれの連邦のカバー使ってます」
CAさんが私が返却のために机の上に置いてるレンタルのモバイルwifiの書類をマジマジと見てます
CAさん「うそ! ○○市で○○町で私と同じです!!!」
雲「ええええええ、マジで?」
CAさん「今日日本に着いたら、お祭りの宵宮ですよね
速攻で帰りますよ!
行くんですよね?」
雲 心の声:(祭りなんて知らなかった。家帰ってのんびりしたい、祭りなんて興味ないし、むしろ人が多いから祭り嫌い。それにしても綺麗な人だな。惚れられたかもしれんな!)
「めちゃ祭り好き! この日に合わせて帰国した!」と心とは別の言葉は出ました。
CAさん「やった!」
こんな1万キロ以上離れた空の上で同じ町内の人と会います????
その後、私はプロジェクトの一期目が成功した段階で昇進して本社に戻されました。
ITのリーダは、病で他界したそうです。
本当に素晴らしい人でした。
他もメンバーもいつの間にか、会社をやめてました。
私だけが会社に残ってしまった感があります。
しばらくは「ブラジル帰りの男」と言われました。
実際は、何一つ大したことはしてません。
むしろ、ブラジル人と遊んでいたことしか記憶にありません。
ふと思ったのが、歴史に名を残した偉人は優れた人とは限らないかも。
私のように、たまたま生き残ったのヤツかもしれませんね。
余談になります。
時は流れ2024年。
リオがきっかけで繋がっていた人達と動画作りました。
リオ往復で出会った人達との人物相関図です。
往復のビジネスクラスの飛行機代が80万円以上だったような気がします。
私の当時の経済力では立替払いが無理だったので、総務にいる筋トレ友達が現物支給として飛行機の手配をしてくれました。
その女性と親しい友達が山ガールMIZUHOさんです。
数年後に筋トレ仲間としてMIZUHOさんと出会います。
飛行機を手配してくれた旅行会社の男性の家族がゲテモノを料理することができる料理人のHITOMIさんでした。
数年後、銃を所持した私と狩猟でHITOMIさんと出会います。
ドバイの上空で話しかけてきた女性は、後に一緒に海に潜ることになるReiさんです。
この後すぐ転職されます
謎の女Reiさん。女盗賊か女スパイか現在の仕事は不明です😂
ブラジルメンバーは退職され香川県で銃猟を始めて、数年後にクレー射撃で再会します。
2024年6月、釣ったスッポンを食べる企画で、MIZIHOさんとHITOMIさんが初対面で会話したことがきっかけで、実は昔から繋がってたことが判明しました。
ブラジル帰国から数年間、何回か動画チームで結成しては解散して、2024年からソロ活動としてnoteを始めて、noteの動画版としてyoutubeを始めました。
リオの記事を書くために人物相関図を作るとビックリです。
漫画みたいな話です。
世の中は偶然などないのかもしれませんね。
出会いは必然と思ってます。
私の周りは魅力的な人ばかりが現れます。
リオの風と共に過ごした日々が素晴らしい人間関係を繋ぐきっかけとなったということで物語は締めさせて頂きます。
長文を最後まで読んで頂きありがとうございました。