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日記9/3 バナナマンと十返舎一九【東海道中膝栗毛】と一緒なら新幹線は止まらないか
台風により、三日間の東海道新幹線休業が発表された先日。
ようやく再開し、テレビ局が利用客にインタビューする様子を連日見た。
【中継】東海道新幹線が4日ぶりに通常運行 「いつも自由席なんですけど思わず指定席取りました」|FNNプライムオンライン
東海道で思い出したのは、バナナマンのヒムペキ兄さん。
金曜JUNKにやるラジオ、バナナムーンGOLDという番組内で「音楽の悩み何でも解決ヒムペキ兄さん」というコーナーがある。
ようは視聴者のリクエストやお題に対して、替え歌を作るというもの。
実際に説明するより、一覧をみたり、実際に聞いた方が理解しやすい。
そんな中で、2010年に番組内の年間大賞をとったのが、ココロオドルで東海道新幹線の駅名を覚えようという替え歌である。
「東京、新橋、品川駅~」から始まり、神戸駅まで歌い上げたこの替え歌。
細かく言うと抜けた駅名もあるけど、歌の上手い後輩と数時間がんばって作り上げたというだけあって、クオリティが高い。
曲のリズムや元の音韻と合わせて駅名を当て込むことで、たしかに聞いているとなんだか駅名を覚えられそうな気がしてくる。
なにより、自分も声にだして歌いたくなることが、暗記のための替え歌しては大成功ではないだろうか。
東海道と唄ったときの気持ちの良さでいえば、220年ほど前に書かれた十返舎一九の「東海道中膝栗毛」(とうかいどうちゅうひざくりげ)は絶対に外せない話題だ。
これを声に出して読みたくない人はいないタイトルである。
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けれど、逆にこちらはゴロが良すぎて、知名度に対して中身について殆ど知られていないように思える。
ジャンルとしてはコメディ小説。昔風にいえば滑稽本。
主人公が、「ちりめん屋の弥次郎兵衛(やじろべえ)」というだけで声に出したくなるし、こちらもまた江戸から大阪に向かって旅する話である。
現代語訳つきで上げてくれるサイトもあるので、自分の地元や知ってる土地の話を読んでみるのもいいだろう。
東海道中膝栗毛 原文・現代語訳・解説・朗読 (roudokus.com)
この東海道中膝栗毛の中では、更に昔の東海道を旅した書に触れられる。
「海道記」というエッセイ(紀行文)だ。
彼は1223年の鎌倉時代、つまり今から800年前、膝栗毛から600年前。
京都から鎌倉へ、そしてまた京都へ帰るまでの話だ。
作中だと、作者は鴨長明とされてるけど現在は否定されており、作者不明である。
膝栗毛内での海道記の話はこんな感じ。意味より語感を楽しんで欲しい。
長明が東海道記に曰(いはく)、
松(まつ)に雅琴(がぎん)の調(しらべ)あり、
浪(なみ)に鼓(つづみ)の音(おと)ありと、
息杖(いきづへ)の竹笛(たけぶえ)をふけば、
助郷(すけごう)の馬太皷(むまたいこ)をうつ。
膝栗毛後篇(ひざくりげこうへん)の序(じよ)びらき、
ヒヤリヒヤリ、てれつくてれつくすつてんてん。
最後のオノマトペを含め、文章を音読したくなるリズムを取っている。
読み心地は、絵本や紙芝居のフレーズに近いかもしれない。
歌舞伎や戯曲でも「知らざあ言ってきかせやしょう」みたく、ゴロの良い台詞は沢山あるけれど、声に出して読みたい日本語はこの東海道中膝栗毛にもあふれている。
(声に出すと、現代だと卑猥すぎたり、当時でも卑猥すぎる下ネタが割とあるので選ぶ必要があるとはいえ)
東海道は、多くの旅人が通る道であり、そこには宿場町を通り抜ける中で様々な物語や唄が生まれた。駅名にもそれが残る。
旅だけではない、日本の東西をまたぐ道ならば、そこに日本の歴史も詰まっている。
徳川家康の領地である三河国を通れば「三河大塚」「三河三宮」。
その先には、織田信長の家臣が会議をした「清州」や「尾張一宮」。
鴨長明の時代、承久の乱で鎌倉幕府側と朝廷側が戦い、後に豊臣秀吉が一夜城を築いて敵を翻弄した「木曽川」。
「関ケ原」を抜ければ、今は亡き城で有名な「安土」を越えて、「長岡京」。京都周辺は言わずもがな。
しかし大阪に近づくと、「新大阪」「甲子園口」など近現代の駅名もうかがえる。
令和の旅人、働き手たちは、江戸城すぐそこの東京駅から新神戸駅まで2時間36分で行き来する。
そこに膝栗毛のように滑稽本が何冊も挟まるほどの滑稽なエピソードや人情噺が挟まる時間などないかもしれない。
それでいい。令和の東海道ではその代わりに、ついた駅の先で新たな物語は生まれていく。
ただし時々、彼らが旅して残した言葉を、ゴロの良さに惹かれて口ずさんでみれば、そこには確かに滑稽な物語が駅の数以上に存在しうる。
駅で新幹線が止まらなくても、バナナマンで覚えた地名が、膝栗毛で笑ったあの話の駅が、通りぬ過ぎる私たちの感情を揺さぶってくれるのだ。
……と、「ようやく旅行ができる」と嬉しそうにほほ笑む旅行者たちをテレビで見ては、「旅行できてうらやましいなぁ」と口ずさむ、滑稽にもなりえない今日の私であった。