見出し画像

有象無象のおぼろげな感覚

ことさら申し上げるまでもなく、自分で挑戦して勝ち獲ったものには何物にも代えがたい価値がございます。ともすると、人生におけるカタい快楽でもございましょう。これについては、すべからく挑戦すべし。


それとはすこし毛色の異なる話ではありますが、ふとした弾みに見たり聞いたり、あるいは読んだりうっかり拾っちゃったりしたようなものにも、個別に価値はあるようで。


そうしたものはえてしていつだって忘れられるし、捨てられる。その気安さ、簡便さ。生きていさえすれば自ずと埃のように積もっていく、とくに省みるまでもないコンビニ的な経験価値とでも申しましょうか。


私は臆病なタチですから大見栄きった博打とは縁遠く、そうかといってコツコツ積み上げるような作業も不得手にございます。また周りの友人知人たちも若気の至りで吹聴した志をいざ世に照らしてみたときに、イカロスの翼よろしく、あえなく溶け墜ちてしまったような人間がまことに多い。


―――雨を祈れば泥を覚悟しないとな……。映画のなかでデンゼル・ワシントンもそう言ってたしな……。フフ……。


などと、お互い仕事明けに420円のかき揚げ天玉蕎麦をたぐりながら、唐突にしみじみ言いだすような連中ばかり。平たく申さば、相応の現実を知ったのでしょう。


もはや大きく張るにはあまりに慎重にすぎ、挙げ句は人生4勝6敗がちょうどいいという了見で、実にさっぱりと侘しい背中が幾座も並んでおります。すでに世の中と正面切って喧嘩する意気もないわけですが、それでも面当てがましく生きていくのだというささやかな反骨の愉しみとして、さいぜん申し上げた「コンビニ的な経験価値」というやつが歪に現れてまいります。


巷間には「価値」だの「意味」だのが溢れかえっております。そこへもってきて一敗地に塗れた連中の藪睨みには、それらは結局つれづれをかこつ文句としてしか映らない。負け犬の反骨心は裏をかいてそもそもの源泉をたどり、タイパだのコスパだのといって忙しなく消費されていく物事をぼんやり見つめています。


デジタル一方でありとあらゆるものがゴシップ的に消費されていく今日にあって、あえてアナログな方法で連続する情報をひとつひとつ丁寧にかいつまんでいくという趣味。そうしておいて、スパンコールみたいな世の中にときどき毒づいてもみるのです。


―――アイドルだって、ウンコするんだよ。


と。


は?


っていう。


とかくモノを言うにも資格ってものがございます。なまじそれを理解した気になっている奴ばらの言うことですのであんまりアテにはなりませんが、退屈な方はぜひ深読みしてみてください。


そういえばある雨の降る晩、友人のひとりが茨城の海にふらっと行った際に拾ったという小さな貝殻を、しょうもない会話の果てにふと見せてくれました。


「男が拾って、女にプレゼントした貝殻だよ。これを帰り際に、女が捨てたんだね。それを、おれが拾った。曇った海だったけど、風車の列は美しかった」


そう言って虚ろな感傷をちらとのぞかせたかと思うと、彼はすぐに掌を翻してその貝殻をスーツの内ポケットに戻し、そして煙を払うような手振りをしてから駅の雑踏へ消えていきました。


彼はようやく彼自身の憩う廃墟を見つけて、物静かなアジトをかまえたのか。あるいはその廃墟を探し求めてフラフラしているだけなのか。ともあれ、中小企業の経理部に所属している彼の奇妙な発言に、私は勝手な感慨を抱くのでした。


さッ。


いったい何を申し上げたかったのか。益体もない話を長々と、たいへん失礼いたしました。


どうか安全にご通過ください。


では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?