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人生の終わりを思い描く

 私は高校で数学を教えている25歳です。中学生のころ、人に勉強を教える楽しさを知りそこから学校の先生になりたいと思いました。英語好きから数学好きへと教えたい教科は変わりましたが夢は変わらず、今は福岡県にある私立高校で働いています。私のこれまでとこれからについてここに残しておこうと思います。最後まで読んでいただいた人の心を1cm、いや10mm、0.01mだけでも前に動かすきっかけになればと思います…

 初めに私が働き始めたころから書きたいと思います。

 新卒1年目からいきなり1年生の担任を任されました。確かに面接試験のときに担任は経験してみたいとは言いましたが、まさかいきなり任されるとは思っていませんでした。一般的に新卒の先生は1年間副任を経験し2年目から担任を持つという流れがあったので、一年目からの担任は驚きましたが早く経験をさせてもらえてラッキーだなと心はワクワクの方が大きかったと思います。

 一方で、私が勤務することになった学校は私が高校生のときはヤンキー高校で有名でした。ついたあだ名は

”最後の砦”

だから私は、

”教室のドアを開けたら上から黒板消しが落ちてくるんじゃないか”

とか

”授業しても誰も聴かないんじゃないか”

とか

”生徒に舐められないか”

などの不安もありました。そんなワクワクや不安を抱えながら勤務が始まりましたが、行ってみると生徒は自ら止まって挨拶したり、教室の場所を丁寧に案内してくれたりと想像していた生徒とは真逆の真面目な生徒が多くて驚きました。どうやら部活動が強くなって真面目な部活動生徒が多く入学するようになったそうです。
 
 さて、1年生の担任をすることになった私にはいきなり一大行事が待っていました。そう…

入学式!!!


なんと勤務して8日目には入学式を迎えることになったのです。因みに私の勤務校はコースが8つあるため校舎は2つあります。敷地もとても広いです。なので校舎のどこにトイレがあるのかを知ることですら時間がかかりました。そんな学校なので、まだ1/10も理解できてないときに入学式を迎えることになったのです。

入学式は自己紹介くらいしか話すことがないと聞いていたのでそんなに緊張しないだろうと思っていましたが、問題はそのあとのHRです。HRでは、クラスの方針を30分話すように言われていました。万全の体制でHRに臨むために入学式の2日前(就任6日目)に教室で何を話そうか考えていた時でした。サッカー部の監督兼3年生の担任であるベテランの先生(以降N先生)から

「3年間を通してどんな生徒に育てたいかというビジョンを持ってる?」

と言われました。私は言葉が出てこなかったのを今でも覚えています。それも当然のことです。当時の私は、自分が教師になることだけを考えていたのです。と同時にどうしたら生徒に舐められないかやどうしたら生徒にマウンティングされないかということばかり考えていたのです。大切なのはその先生が仰ったような

自分が関わる子どもたちをどんな人に育てていきたいのか

というビジョンであることを理解できていませんでした。しかし、言われて理解したところで何も思い浮かびませんでした。それもそのはず。私は

そもそも自分はどんな人になりたいのか


という問いと向き合ったことがなかったからです。それまでの人生を振り返った時に常に将来のことや過去のこと、他人からの期待に応えることなどばかり考えていました。どんな自分でありたいかということについて深く考えたことがなかったのです。

「教員にとって大切なことだから考えておかないと!!」

と言い残されN先生はその場を後にしました。
そして、何も思いつかないまま入学式のHRを迎え何とか絞り出して

協調性・社会性・思いやり

という3つのことを大切にしよう的なことを話しました。(緊張で何を話したか覚えていませんが、めちゃくちゃだった気がします)そして、1年間が始まりました。

 最初はとにかく生徒に厳しくしようと思って毎日生徒と接していましたが、入学式から3ヶ月ほど経った日の帰りのHRでN先生が見に来たときのことです。HRが終わった後に職員室で先生に呼ばれたので、行くと

「先生は毎日あんな葬式みたいな厳しい雰囲気でHRをしているの?」

と言われました。

「そうです。」

と答えると、

「先生はなんで厳しくしているの?」

と言われました。そのときは正解がわからず何も言えませんでした。すると立て続けに

「なんで僕はサッカー部の生徒に厳しくしていると思う?」

と言われ、

「舐められないようにするためです。」

と答えました。因みにN先生は学校で一番怖い先生で有名でした。生徒指導力もとてもある先生です。そんなN先生はこう言いました。

「無償の愛があるからだよ」

そのときは意味がよくわかりませんでした。ただ私が生徒から舐められてはいけないとか反発されてはいけないとか思っていたのでそれが良くないのだろうという認識でした。なにより入学式の時から何も変わっていない自分にがっかりしたのを覚えています。

 それからも何かあるたびにN先生から教員にとって大切なことをたくさん教えてもらいましたが、なかなか消化できずに1年目が終わりました。今思えばあの1年はほんとにいい経験ができたと思います。土曜日が待ち遠しくなったり、日曜日の夕方にはサザエさん現象を味わったりと社会人らしい生活をしていたし、学校では生徒と何度も言い合いになり、喧嘩をし、笑い合った1年間でした。一方で、趣味である筋トレも続けることができていたので、生徒から背中を押されたこともあって大会にも出場しました。
そしてなんとか無事に1年目を終え来年はクラスを持ちあがるのかなと思ったらN先生から

「Tomo先生はもっと大変なコースで経験を積んた方がいいよ」

と言われました。私の学校では、8つのコースがあり、コースによって学力に差があります。N先生が言っていたのはその中でも最も学力の低い子どもが集まるコースのことでした。因みに私の勤めている学校では基本的に3年間担任が同じですが、クラスを移動することはあってもコースを移動するのは珍しいと言われていました。それもあって私はそんなの冗談だろうと思っていましたが2年目のクラス発表の時、教頭先生がクラスと担任を読み上げるなか、

1年○○組 担任  Tomo先生

と言われました。またしても1年生だしクラスもN先生が言っていたコースの担任でした。

"N先生が担任を決めているのか⁉"

”また1年生か~”

という残念な気持ちと

”今度は全く知らないコースだから学校をもっと知るいい機会だな~”

”昨年度の失敗を取り返すチャンスだ”

という前向きな気持ちもありました。いずれにしても動揺しましたが、そんなにくよくよしている暇はありません。なぜなら1年生の担任ということは、またやってきます。

2回目の入学式です。というよりHRです。

私は、1年目の失敗を思い出しながら生徒に何を話すかを考えました。さらに1年目に生徒たちに無償の愛を注ぐために自分の考えは全部与えようと思って毎日学級通信を書いていたので自分の中ではある程度教員としてのビジョンが確立していました。そんな2年目の私が迎えた最初のHRで私が生徒に伝えたのは、

「他者貢献できる自律型人間になろう」

でした。
なぜこれを生徒に言い続けているのかは別の記事にて紹介します。
2年目のHRは1年目の時よりもうまく話せたと思います。生徒がこれからの学校生活に向けてキラキラと目を輝かせて私の話を聴いてくれていました。2年目もとても面白い年でした。とんでもない失敗をしたし、素敵な経験もありました。これも別の記事にしたいと思います。

 さて、ここまでだらだらとこれまでについて書いていますが、今は3年目で、ようやく2年生の担任をしています。とはいっても昨年のクラスを持ちあがりではなく、1年目の時のコースに戻ってきました。毎年違うクラスを受け持っているので、自分の考え方に変化があるなと客観的に感じているので毎日がとても新鮮です。

 ここから本題に入ります。上に書いたように自分がどんな人でありたいかということを考えるきっかけを入学式のHRで与えてもらってから自分の人生のビジョンを考えるようになりました。とはいってもビジョンて難しいものです。ポッポを進化させるのとは大違いです…

そんなこんなでビジョンについて考えているときに「7つの習慣」という素敵な本に出会いました。その本には人生で大切な7つのことについて順番に書いてあるのですが、2つ目に大切なこととして

「終わりを思い描くことから始める」

と書かれていました。これを見て、人はいつか死ぬから死ぬときに人生を振り返ってどう思いたいかを考えればいいかと思ったのです。それを思ってから
"人生は1回きり"  "今日が人生で一番若い"  "今日が人生最後かもしれない"

などの人生に関する言葉に刺激を得るようにもなりました。人生1回きりだからこそ、これからどうしていこうかとか今の生活を続けていいのか?などの自分に問いかける時間が増えました。その結果自分が死ぬときに思いたいのはシンプルでした。それは幸せな人生だったです。
では、どうすれば幸せと思うのかというとそれは

自分のやりたいことを通して一人でも多くの人に愛と勇気と感動を与えること

です。なので、自分のやりたいことは全部やりたいです。
もちろん教師だって続けていきます!そして一人でも多くの人に愛と勇気と感動を与えるためにただの数学の先生ではなくていろんなことにチャレンジしていろんな価値を持った数学の先生でありたいです。世の中に多くの影響を与えている人はいろんなことにチャレンジしてその分たくさんの価値を持っていると思います。例えばロバートの秋山さんみたいなお笑い芸人として有名になった後に俳優として活躍したり、又吉さんみたいなお笑いをしながら本も出版したりしている人です。そんなiPhoneみたいな人になりたいのです。

iPhoneみたいな人
iPhoneは電話が進化したものである。ということは、遠くの人と通話できるという機能があればそれでその役目は果たす。しかしNETFLIXで映画を見れたり、カメラで写真を撮ればまるで一眼レフで撮ったかのような写真を撮ることができたり、マップを使えば行きたい場所までのルートを案内してくれたりといろんな機能を持っている。それらの機能のおかげでたくさんの人の人生を豊かにしている。そんな色んな価値を持った人のことをさす。


さてそんな私が一人でも多くの人に愛と勇気と感動を与えるためにやることは次の3つです。

1数学の教師として教え方を学び続ける
2ボディビルの大会で常にかっこいいい体を目指す
3伝わる話し方を実践し続ける

だと思います。とはいっても自分の強みになりそうだなと思うことを書いてみました。

1数学の教師として

 数学を通して生徒に愛や勇気や感動を与えられると本気で思えるようになったのは教師になってからです。そのきっかけとなった出来事がありました。
$${-2x>4}$$の解が$${x<-2}$$であるという事に対して、

「なんで、不等号の向きが変わるの!」

と感情的に自分の疑問をぶつけてくる生徒がいました。その生徒に対して

「$${2<3}$$という大小関係を表した式があるとします。この式の両辺に-1をかけると左辺は-2 .右辺は-3となって$${-2>-3}$$となって数の大小関係がさっきと逆になったでしょ?両辺にマイナスの数をかけたり割ったりすると不等号の向きが変わるのは大小関係がかわるからだよ!」

と教えると

「なるほど!すげー!」

と感動してくれました。この出来事から”なぜ”を教えることの重要性を感じたのと数学を通して感動を与えられると思ったのです。
 
私が数学を教える上で大切にしていることは、

生徒に納得してもらう


ということです。
 数学を学ぶことで論理的思考を身に付けることができます。そして、それは日常生活の問題を解決するために必要です。数学には必ず答えがあります。だからこそ生徒にとってなぜその答えになるのかは重要ではなく、答えにたどり着けさえすればそれでいいという考えになりがちです。しかし、生きているとさまざまな問題にぶつかります。それこそ私が感じているように自分の人生の問題というものにぶつかるときだってあるのです。それには正解がありません。正解のない問いに対してたどり着くゴールがあるとすれば、自分が納得できることだと思います。自分なりの答えをだしていく、それが大切なことだと思うのです。だから生徒には答えのある問いに対してもなんとなく正解だったという感覚よりも納得できる答えを自分で出せ、それが答えと合ったという感覚を大切にするように教えています。そうすれば、日常生活の問題に対しても自分で納得できる答えを自分で見つけていく力が育つと思っています。
実際のところ簡単な問題では生徒も意識できていますが、定期テストがある以上最終的に暗記に走ってしまいます...
とまあ、私は自分なりにこの数学を教えることに価値を見出すことができています。そして、最終的には100人の生徒が集まった教室で授業できるくらいには数学の教員として成長していくのが目標です。
 また、今働いている高校では、難関の国立大学に進学する生徒が少ないので、その課題を解決したいと思います。昨日N先生と話して、

この学校で自分にしかできないことかつやりたいことをやればいいんだよ。と言われました。
安定した道、ただ一生懸命やって頑張るだけが評価されるのはラッキーなだけ、でも覚悟を持って自分の目標に向かってやっていくことは楽しかろうが辛かろうがハッピーだよ、自分のやりたいことをできているから。」

と言われました。毎日バーベルを持ち上げている私ですが、この言葉はとても重たくてまだ持ち上げれそうにないです。

2ボディビルダーとして

 私がジムに行き始めたのは3年前からです。週に5,6回、多い時で7回はジムに行っています。毎日仕事を終えてからジムに行っていますが、これを人に話すと「すごいね!」とか「よくそんなことできるね!」と言われます。   

 確かにきつくて自分に負けるときもありますが、それでも楽しいという気持ちの方が勝っています。仕事をしていても好きなことをできていることがとても嬉しく思います。
 大会には2度出場しましたが、大会に出場することで何を得られるのかを考えるようになりました。何のために鍛えているの?と言われることもあります。大会に出場して優勝したいという気持ちがありますが、その先に何があるかかと考えた時にボディビルの大会に出場している人の体を見て感動したのです。実際に大会を見に行って感動して泣く人もいます。だからこそ自分も一人でも多くの人に勇気や感動を与える人になるためにもっとこのボディビルを極めていこうと思います。

3話し手として

 人に話すのが好きです。特に友だちと人生やこれからのことや人の心理などについて語り合うことが好きです。友だちの考えを聴くのも好きなんですが、やっぱり自分のことを理解してほしいと思ってつい話してしまいます。

 一方で、教師は生徒と関わる中で二つの教育をする必要があると心得ています。一つ目は、態度教育です。もう一つは価値観教育です。これもN先生が教えてくれたことです。

 ・態度教育とは生徒の心のコップを上向きにすることです。この先生から学びたい!!と思わせることです。そのためには生徒に無償の愛を与え承認することが大切です。教師が生徒が興味を持っていることに興味をもったり、生徒の話を傾聴するしたりするなどができることかと思います。

・価値観教育とは教師が大切にしていることやあるべき姿を発信することです。これには話す力やプレゼンテーション能力が含まれます。学級通信のように文字で発信することもできます。

私はこの発信するということが好きなようです。これも働き出して生徒にいろんな話をする中で気づきました。また、毎日学級通信を書き続けられているのも苦ではないからだと思います。
目標はTEDトークのようなプレゼンテーションができるようになることです。

まとめ

ソファーに座ってテレビを見ようと思ったらチャンネルがテレビ台のところにあるのに気づく。テレビを見たいを実現するためにはチャンネルをとらなければならないように
want to の前には必ずhave toが待っています。きっとこれから私はこの3つをさらなる強みに変えていきますが、そこにはたくさんの壁があると思います。しかし、自分の人生の目標だけは見失わずに前に進んでいきたいと思います。

長い記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。


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