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節を分ける〜三文安くないの巻

2月になりました なんだか1月はやけに短かったような、、旅を続けていると時差のせいか、どこかに時間泥棒が潜んでいる気がします 

Instagramでも触れましたが
1月29日からは旧正月にはいったし
明日は節分=節を分けて2月3日の立春を迎えるし
さらに古来の日本(6、7世紀に中国から歴がはいってくる前)は1ヶ月が満月から始まったらしいから
そう考えると古代日本のお正月は今年は2月12日ということになります

なんだか何度も「始める」チャンスがあって嬉しい!

そんなことを考えていたせいかな、自分のなかで何か切り替わった感じがするのは私だけでしょうか?

さて、お気付きの方もあるかもしれませんが
「noteのクリエイター名(アカウント名?!)はあれで良いの?」そんな友人の言葉により この度ちょっと名前を付け足しました

➖チェロ弾き旅烏のふたこと➖
これはずいぶんと前にやめてしまったブログのタイトル「チェロ弾き旅烏日記」からきております

ひとことじゃなくて ふたことにしておきました

その昔、ブログはけっこう長く楽しく書いていたのですが
だんだんとコンサートの告知とその結果報告ばかりになって自分でも「何かいやらしいな」と思いはじめ

さらにたくさんの素晴らしい体験があればあるほど
それを簡単に文章にするのが難しく
いちど心に仕舞うと 次の出来事にのしかかられて

ことを熟成させて言葉にするタイミングがわからなくなってしまったのです 
 ああ、未熟だった

いまも熟成したわけではありませんが
少なくとも前より 自分のことがわかっている
歳を重ねるってありがたい

以前に書きましたが
私のモットーは目指せ素敵な80代!でありまして
いかにして時を紡ぐかが大事なテーマ
その理由は私の育った環境にあります

 明治生まれの曽祖母
 大正生まれの祖母
 昭和辛うじて二桁の母
 そして姉と私という時代の違う四世代

(女系ファミリーのなかにあって曽祖父と父は仲良くしていました あとは毎日通ってきた庭師の棟梁と雄猫たち そこに私を育ててくれた乳母やもはいってきますが、それはまた今度)

というわけで物心ついたときから私は母屋の曽祖母と祖母に仕込まれて育った訳なのです

曽祖父母のところに来客があると玄関でお迎えするのは私の役目
3歳児が正座で手をついてお辞儀をするので毎回、賞賛を浴びて鼻を高くしたものです(思えばほぼ芸を覚えたお猿さん状態ですね)
そして応接間で足がつかない椅子に座って、明治生まれのおばあさま方のお話しを退屈することもなく拝聴し、相槌をうち、、お茶のお代わりをだす母にすら呆れられる謎な子どもでした

幼稚園でハイカラとかバンカラとか口走ってシスター方の微笑みが固まった瞬間も 良く覚えています

小さな頃のことはひどくはっきり心に刻みこまれており、2歳ころの記憶もしっかりあります
なぜなのでしょう
写真を観たり、あとから大人から聴いたことが擦り込まれているという説もありますが
自分だけが体験した 自分だけの鮮明な記憶もあります
幼稚園にはいる前に通っていた枝光会研究所(2004年に廃止)の思い出も色濃く残っています

女の子と男の子の仲良しがいて3人組で一緒に遊んだり
参観日に紙で金魚のオブジェを作ったり、ハサミの形状が不思議すぎて、何度も持ち方を直されたものです
お箸より難しかったな、ハサミの持ち方

とにもかくにも口だけは達者な子どもでした、、、

そう振り返ると4代ファミリーを体感しながら育ったのはやっぱり私の宝

小さなころは両親が忙しく
母屋で祖母や曽祖母のあとをついて回っているか
猫たちと犬と遊んでいるか
平和な思い出はいつも暖かくのんびり

ーおじいさん、おばあさんっ子は三文安いーというけれど そうかな?

それぞれの世代のモノの見方が違うので
価値観も視野も世界が広がって、私にとっては有難い子ども時代でした

いまはどの国でも代を越えて一緒に住むのが難しい時代になってしまって残念

自分のいただいた善いものを どうやってお返ししていこうか 考えさせられます

では本日のふたことはこの辺りで
あ、これはひとことかな?

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