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コラム9「その人の物語を綴ること」


最近になって知ったのですが、ガザの詩人リフアト アルアライール氏の遺作の詩
静かに世界に広がっているそうです。
If I must die ・・・

もし私が死ななければならないのなら
あなたは生きなければならない
私の物語を伝えるために

(中略)ここもいいのですが…

もし私が死ななければならないなら
それが希望をもたらしますように
それが物語となりますように
(現代手帖 20245月号より)

4万人以上にも及ぶガザの死者
しかしそれを数字だけで終わらせないでほしい
その一人一人に、かけがえのない人生の物語があるのだから
ヒロシマ・ナガサキの原爆ではおよそ20万人以上の犠牲者が。
しかしその一人一人に人生の物語があることを
忘れないでほしいと思うのです。

リフアト氏はその後空爆で亡くなります。
自分の死が希望をもたらしますようにと言う彼の願いは、
その後、彼の娘の命まで空爆で奪われ、希望は大いなる悲しみへと変わりました。

しかしいつかきっと、この一遍の詩が世界を変える時が来る。
そんな希望を持ちたいと思うのです。

さて「白駒池居宅介護支援事業所」の物語は、
まさしく一人一人の人生を見つめる物語になっています。
第1作の薬師太郎もそうですが、第2作の葛城まやも、葛城まやと言う一人の人生物語を綴る内容となっています。
葛城まやさんの物語は、実在の人物をモデルにしたものです。
彼女の日記は、認知症が進むにつれて、文章も文字も不明瞭になっていったのですが、身寄りのない彼女が一生懸命書き溜めたものでした。(実際には、日記ノートではなく、広告チラシの裏に書き留めて、束になったものでした)
葛城まやの物語は、ガザの詩人リフアト氏のように、生きるか死ぬかの極限状態の話ではありません。
しかし、必死に生きてきたまやが、人生の終焉を見るにおいて、誰かに自分が生きてきた証を知ってほしかったと思ったのかもしれません。
さらにその物語は、若い明神健太の心にも影響を与えています。

高齢者ケアの仕事では、多くの人の看取りに接します。
そして多くの人の看取りに接するほど、単なるケアが必要な人として、或はケアが必要だった人として、流れるように時と共に忘れ去られていくのです。
しかし、今目の前におられる、もの言わぬ寝たきり状態の人も、認知症でコミュニケーションがままならぬ人も、認知症状に苦しみ右往左往する人も、みんなそれぞれに、多様な人生の物語があることを忘れてはならないと思うのです。
図らずともリフアト氏の詩は、一人一人の人生の物語を大切にし、そしてその物語を語り伝えること。そこに希望を見出すことができるのではないかと感じるのです。

偶然にもうっすらと虹が。しかし今の世界情勢のためか、虹も色薄いものでした。

「幾星霜の人の物語を綴ること」 これが私の小説の主題なのですが、
それは、幾星霜の人達の物語は、過去を振り返るだけのものではなく、そこから学び、そして感じていくこれからの人の希望に繋がる物語であるということ。
それが、私が書いている小説の主題と言えるのです。
 
ケアの実践現場ではルーティンワークに追われる日々かもしれません。
しかし、時には立ち止まり、ひとりの人を見つめるセッション(これについてどのように行うかは、いずれ別機会に書きます)を行ってみるのもいいのではないでしょうか。

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