
コラム13 太平洋フェリーに価値はあるのか (その3)~入所施設に価値はあるのか~
コラム13 太平洋フェリーに価値はあるのか (その3)
~入所施設に価値はあるのか~
さてさて、「太平洋フェリーに価値はあるか」と言うテーマで書き出して3回目。
実はこのテーマからだんだんとずれてきた感はありますが、要するに太平洋フェリーをベースにして、「見かた捉え方」から価値観について考え、そしてケアの世界の話に戻ってくるのが今回の第3回目になります。
因みに私自身は、とあるユーチューバーさんの影響もあるのでしょうが、「太平洋フェリーには十分に乗る価値がある」と思っております。
今すぐにでも乗ってみたいとも思います(とは言っても、乗るとしても実際には半年先になりますが)
もしその時が荒天であって、船酔いしたとしても、リベンジを考えるでしょう。
では太平洋フェリーの何処に価値を見出したのか?
それはやはり「乗ってみたい、船旅を満喫したい」それだけです。別に難しく考えたわけではありません。

さて、それではこの「船旅」をベースにケアの世界について考えてみたいと思います。
船旅ならば、必ず目的地に着けば、その限られた空間での生活から解放されますが、施設入居となるとそうはいきません。
私たちは旅行として船旅を楽しみますが、施設入所はその限られた空間の中で、長い間過ごさなければならない、生活しなければならない、さらに人の助けを借りなければならないという状況にあることを、ケア側としてはしっかりと認識しなければならないのです。
そして、船旅にそれなりに価値が見いだせるように、施設入所にも価値を見出せるものでなければならないのです。
私たちは、電車に乗るにしても、車を運転するにしても、何かを買うにしても、どこかに泊まるにしても、そして太平洋フェリーを利用するについても、何らかの価値を見出して利用したり活用したりします。
同様に入所施設の選択も、その施設に対しての何らかの価値を求めての入所となるでしょう。

しかしそこには介護家族の「やむおえぬ価値」があるかもしれませんし、入居者からすれば、「妥協の末の価値」かもしれません。
価値を見出すことができなければ無価値な施設として判断され、別の施設を探すということになるかもしれませんが、それは容易なことではありません。そのため「妥協の末の価値」として存在することになるのです。
つまり「介護施設」は、家族からも利用者からも真に価値あるものとして存在しなければならないのです。そうでなければ、介護現場そのものの存在価値は低いままになってしまうでしょう。

「何らかのサービスを利用する」と言うことは、利用者からすれば、そこに価値を見出すものでなければならないということです。
そのような価値ある施設であるのかどうか、そしてその自覚が施設で働く者としてあるのかどうかなのです。
「妥協の末の価値」として存在する施設なのか、家族、利用者共に納得がいく「価値ある施設」として存在するのか、どちらが働いていて、誇りが持てるでしょうか。
そのためには、自らも価値ある施設になるための行動をしなければならないのです。
わかりやすく言えば、例えばあなたがフェリーに乗るお客としたならば、あのフェリーは接客態度が悪くサービスもよくないよと言うものならば、そのフェリーを選ばないだろうし、そこで働く職員もそんな連中かと思うでしょう。そのフェリーしか移動手段がない場合、サービスが悪くても、やむおえず利用しなければならないフェリーになります。
また旅行で泊まった宿が、心地よい宿だったとすれば、その価値は上がるでしょうし、逆にその宿に良い印象を持たなければ、もう二度とこないと思うだけでなく、価値のない施設としての口コミも広がるでしょう。

要するに価値を見出せるかどうかはとても重要なポイントなのです。
飛行機よりはるかに時間が掛かる太平洋フェリーに何故乗るのか?
それは利用者が飛行機とは違う価値をフェリーに見出している、逆に言えば、乗りたいと思うような価値をフェリー側も見出していると言えるでしょう。
自分が働いている施設は、はたして家族や利用者から、価値ある施設として存在しているかどうか、それは自分自身の人生の価値にも繋がることになります。
もし不適切なケアが蔓延している施設ならば、そこで働いている人たちは、所詮そんな連中かと思われることでしょう。
そうならないためにも、他人はどうあれ自分の価値を高めることに注力することなのです。そうでなければ負のスパイラルの中に入り込んで抜け出せなくなります。
たった一度しかない自分の人生の価値を高められるかどうかを、他人のせいにせず、自らに課すこと。
つまり自分自身の人生を大切にすること。
まずはそこからなのです。
具体的方法などはまた後日に。
「太平洋フェリーに価値はあるのか」 (おわり)

太平洋フェリーに価値はあるのか
もちろん私自身は、価値があると思っております。
例え40時間かかっても。
何故ならば、乗ってみたいから。(そう思わせる何かがあるから)
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