見出し画像

40.第1話最終章 松本電鉄改札口にて

「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」
第1話「彼方の記憶」松本編 最終章

   【今回の登場人物】
薬師太郎  認知症の当事者
薬師淳子  太郎の娘
薬師通子  太郎の妻
立山麻里  白駒池居宅の管理者
想井遣造  居酒屋とまりぎの客 麻里の相談相手
蓼科明子  太郎の同級生 蓼科総合病院元院長
谷川まさみ 太郎の同級生 喫茶山稜の主

今この時を前を向いて歩く
日々
人生の新たな旅立ちの時

  40.第1話最終章 松本電鉄改札口

 喫茶山稜を出た4人は、松本駅に着いた。これから松本電鉄で新島々まで行き、そこからバスに乗り換えて、上高地に入るためだ。
 上高地行き直通バスもあるのだが、太郎が松本電鉄に乗りたいと希望したため、ローカル線の雰囲気を味わうことにした。
 あれから太郎は明子に慰められ、そして感謝もされながら、淳子に時間だからと催促され、一度大きな深呼吸をすると、「あきちゃん、ありがとう。また来るかもしれんけど、その時は泣かんから。」と言うと、淳子に連れられて外に出たのだった。
 蓼科明子と谷川まさみは、上高地に旅立つ4人を笑顔で見送ったのだった。

 4人が切符を買い、JRと一緒になっている松本電鉄の改札口に来た時だった。
 「お父さん」
 と、聞きなれた明るい声がした。
 その声に太郎が振り向いた。
 「あ、通子じゃないか。どこへ行ってたんだ? 心配してたんだぞ。」
 太郎がすぐに反応した。
 そこには、ハイキング姿の通子が立っていた。
 「お母さん! どうしたの!? 」
 ごく普通に返事した太郎と違って、淳子はひどく驚いた様子だった。
 通子は、はにかみながら言った。
 「まぁ昨日一日たっぷり休んだからね。私も上高地行きたくなったの。だから7時ちょうどのあずさ1号に乗って来ちゃった。」
 「かぁ~さん、来るなら来るで連絡くらいしてくれたらいいのに! 」
 淳子はふくれっ面だった。
 「今日はいい天気だぞ~ 上高地は久しぶりだな~、通子」
 ほんの1時間前の号泣がなかったかのように、太郎は普段通りに通子に話しかけていた。
 そのことにも淳子は動揺した。
 あれだけ号泣した昔の恋人との出会いをすっかりと忘れたかのような父の姿に、あれはいったい何だったのだろうか? と、心の整理がつかなかった。
 淳子は麻里の所に来て小声でお願いした。
 「山稜での出来事は、母には内緒でお願いします。」
 麻里は頷いた。
 淳子は深呼吸をして気持ちを整えた。
 太郎と通子は二人仲良く改札を通り、その後ろを太郎にふられたような感じの複雑な表情で想井が通った。そしてその後を淳子が追った。

 立山麻里は松本に来て、凄い体験をしたと思った。そして一緒に来てよかったとも思った。
 その行動から悪戦苦闘することが多い認知症の人のケアマネジメント。
 認知症の困ってしまう状況ばかり見てしまう私たちだが、その認知症の人ひとり一人は、それぞれなりに悲喜こもごもの人生を送ってこられたひとりの人であり、そのことを忘れずに、その人の人生の軌跡に敬意を払わなければならないと思った。

 認知症の人自身も、今この時を必死になって生きていこうとしている姿が、私たちには困った行動に見えてしまうのだが、逆を言えば、認知症の人から見たら、私たち自身が困った存在なのかもしれないのだ。
 そして今、通子と二人で並んで歩く太郎の後ろ姿を見た時、太郎のこれまでの人生に敬意を払いつつも、今この時を一生懸命に生きている太郎をしっかりとサポートしたケアマネジメントを行わなければならないと麻里は思った。
 日々、いつでもどんな時でも人生の新たな旅立ちの時なのだと。
 「なまの人と人との繋がりって、本当にいろいろなこと勉強できる! 」
 麻里は自分の世界が広がったような感覚を楽しむことを知ったのだ。

 「立山さ~ん、何をぼ~っと突っ立てるんですか~! 乗り遅れますよ! 」
 想井の声に麻里は我に返り、慌てて自動改札を切符を入れずに通ろうとして改札機につかまった。

第1話 終わり


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?