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9.遭難
「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」
第4話 「ぬくもりの継承」
東京渋谷区白駒地区にある、白駒池居宅介護支援事業所のケアマネジャーや、それに関わる人々、そして北アルプス山麓の人達の物語である。
【今回の登場人物】
想井遣造 立山麻里の相談相手。自称カメラマン
鵜木幡猛 山想小屋の小家主
高森 徹 山想小屋のアルバイト生
目前に目的地があると
つい判断が鈍ることがある
他者の意見を聞くことも
必要な技術
9.遭難
想井遣造は7時間かけて小屋に辿り着いた。
小屋ではすでに高森徹が忙しそうに夕食の準備を始めていた。
食堂からは例の4人組の女性たちの賑やかな話声が聞こえていた。
鵜木畑猛は口にこそ出さなかったが、一体何をのんびりとしていたんだと云うような目付きで想井を睨むと、想井が運んできた荷物を軽々と持ち上げて倉庫にしまいこんだ。
想井はヘトヘトだったが、ゆっくりとする暇もなく、厨房に入った。
こんな日に限って宿泊者が多いのである。先ほどの4人組に挨拶をかわす余裕すらなかった。
この日の夕陽はひと際赤みを増し、雲海を深紅に染めた。宿泊していた登山者から歓声が上がったほどだった。
しかし、その夕暮れの色は通常の色とは違う不気味な色で、明らかに明日の天気の悪化を知らしめるものだった。
鵜木畑は険しい表情を浮かべながら、気象情報に聞き入っていた。
想井はこの日の夜、鵜木畑とじっくり話をしてみようと思っていたのだったが、今日の歩荷でかなり体力を消耗してしまい、それどころではなく、布団にもぐり込むと、すぐに眠りについてしまった。
夜更けと共に、風が小屋を揺り動かし始めたことにも気付かぬくらいに。
翌朝、風は小康状態だったが、小屋の外は濃いガスに覆われ、少し雨が降っていた。この天気に、宿泊していた登山者の誰もが憂うつな表情を浮かべていた。
小型の台風が近づいていたのである。
普段無愛想な鵜木畑も遭難に関してはうるさく、朝食時に登山者に注意を促した。
鵜木畑がまだ山想小屋でアルバイトをしていた頃、天気の急変で落雷に打たれた高校生の無残な姿をまのあたりで見ていた。
当時の小家主が何故登山を止めなかったのかと、長く悔やんでいた姿が脳裏に焼き付いていただけに、遭難に関わりそうなことに関しては、人一番うるさかったのだ。
今後風雨がきつくなるので、下山する者は兎も角として、縦走を考えている者は小屋に留まるようにということだった。
「山想小屋」からは恋生岳(れんしょうだけ)を越えて次の小屋まで約5時間の縦走路が続いていた。
恋生岳は、ここに登ると素敵な恋にめぐり逢えるという言い伝えがSNSで世間に広がり、女性の登山者が増えてきている山でもあった。
「山想小屋」に宿泊した女性登山者の殆どは、この恋生岳を目指すのだった。
4人組の女性は食堂の隅で何やら相談をしていた。
「ここまで登って来て、恋生岳に行けないなんて馬鹿らしいわ。休みも後1日だし、今日行かなくちゃ。」
リ-ダ-格の女性が強い口調で提言していた。
「そうよ、危険なところもないし、午前中はこれ以上天気も悪くなりそうもないわ。たまには雨の中歩くのもいいものよ。」
リ-ダ-の横に座っている気丈な叔母さんの一言で、彼女達の意見はまとまった。想井に声をかけた女性は発言をしなかった。
朝食の片づけを終え、受付の所へ想井が出てきたとき、雨具で身づくろいした彼女達が小屋を出ていこうとしていた。
基本山小屋は早朝に出発する登山者が多く、受付であいさつなしで出て行く登山者もいる。
この4人組もそうだったが、出て行こうとする4人に高森が声を掛けた。
「下山されるのですか?」
「あ、はい… 」
リーダー格の女性がバツが悪そうな顔をして、そそくさと外へ出た。
残りの3名も続いて外に出ようとしたとき、高森も怪しい雰囲気に気づいたのか、
「とにかく、恋生岳へは行かないでくださいね。これから風雨が強くなりますから。」
と、声を掛けた。
想井がちょうど玄関に来た時、昨日想井に声を掛けてくれた女性が、想井に笑顔で手を振って最後に出ていった。咄嗟のことで想井も笑顔を返したが、不安が残った。
4人組は一旦下山道に向かう姿勢を取った後、速足で一気に恋生岳への登山道に向かった。
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しばらくして風雨が強くなり、風は小屋を揺るがすくらいになった。
「なんで確認せえへんかったんや!!」
鵜木畑が高森を怒鳴りつけた。
高森が4人組がもしかしたら、恋生岳へ向かったかもしれないと、鵜木畑に話したのだ。
「俺達はな、ただ小屋に泊まってもらったらいいというのとは違うんや!。登山者の安全にも配慮しなあかんのや!! 一体何年、山で働いてるや!」
鵜木畑の激怒に、高森は完全に萎縮してしまっていた。
小屋に留まっていた登山者が二人を取り囲んで見ていた。
鵜木畑の云うことが間違っていなくても、彼の叱り方が度を越していたので、想井は二人の間に割って入った。
ただでさえ、鵜木畑に対して不信感を持っている高森が小屋を出てしまうとも限らないからだ。
想井は鵜木畑を従業員室に連れていった。
「鵜木畑さん、年下の僕がこんな事云うの失礼だとは思うけど、自分の心の中のイライラのはけ口を若い奴に向けたらあかんと思います。」
「何を-!」
鵜木畑は、想井にいきなり核心を突かれ、むかっと来た。
その時だった。
高森が血相変えて飛び込んできた。
「さっきの4人組の一人が道を踏み外して転落して、動けなくなっているそうです!」
「そやから、云わんこっちゃない! 想井さん、話は後回しや。一緒に救助に出てくれ!」
想井は困惑した。山の経験や若さで言えば高森の方がずっと上である。救助に向かうには彼の方が適任だ。しかし鵜木畑は高森を無視した。
仕方なく、想井は出掛ける準備をした。知らせに戻ってきたのはリ-ダ-の横で偉そうなことを云っていたおばさんだった。
この女性を小屋に残し、山岳救助隊に出動準備をお願いし、鵜木畑と想井は風雨の中を救助に出掛けた。
鵜木畑の足は早く、想井はついて行くのが精一杯だった。
そして、小屋から30分ほどの所で登山道にうずくまり震えている二人の女性を見つけた。
そこから5メ-トルほどの草付きの緩い斜面の下にもう一人が足を押さえてうずくまっていた。男性パ-ティなら簡単に引っ張りあげられるような何でもないところだった。
鵜木畑も想井も、まずは安心した。知らせに来た女性の口ぶりではかなりの距離の転落と、怪我を予想していたからだ。
鵜木畑が出るほどのこともなく、想井が下に降りて、怪我をした女性を担ぎあげた。
「あなたですか。」
足をすべらして、道から転げ落ちた女性は、想井に声を掛けてくれた女性だった。右足を捻挫している様子だった。
想井は彼女を背中にしっかりと背負うと小屋に向かった。
他の二人もまるで首根っこを引っ張られるような恰好で鵜木畑に連れられていった。
小屋に着いた途端、さっそく鵜木畑による激しい説教が女性達に浴びせられた。
想井は怪我をした女性を従業員室に連れていった。彼女の足はそれほど腫れてはおらず、軽い捻挫のようであった。
高森が湿布を取り出し女性の足に貼った。
玄関では他の3人が、まだ鵜木畑に油を搾られていた。
「怪我したお陰で、怒られなくて済んだね。」
想井は捻挫をした女性に声を掛けた。
「はい… すいません… 」
女性は本当に申し訳ないと頭を下げた。
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