コラム6 人生の軌跡に思いを寄せること
人生の軌跡に思いを寄せること
それはまさしく、「幾星霜の人」へのリスペクトそのものであると言えます。
ようやく長い第1話が終わりましたが、その中心テーマは、その人の人生へのリスペクトにあります。
この後に続く様々なケースの登場人物に関しても、そのことがテーマとなっています。
特に認知症の人に敬意を示すことを、居宅のケアマネジャーだけでなく、施設のケア実践者も忘れがちです。
どうしてもその人の認知症状に引っ張られ、大変な部分ばかりをクローズアップしてしまうからです。
確かに認知症の人の行動により、介護者もケアワーカーも四苦八苦するので、そのことに捉われてしまいますが、特にケア専門職はその捉われが、認知症の困った人というレッテルに変わり、人によっては同じ人として見ることがない専門職がいることも事実です。
また世間一般的にも、認知症の人は大変な人、介護者を困らせる人と言うイメージがまだまだ強いのでしょう。
少なくともケア専門職は、そのような見かた捉え方に陥らないようにしなければ、ケア専門職の意味がありません。
一度、想像力を働かせ、例えば「Aさんって、どんな人生を送ってきた人のだろう? 」と、Aさんの子どもの時代から青春時代、そして社会人として頑張ってきた時代のことを、物語化してみると、認知症状だけに引っ張られず、幾星霜の人としてリスペクト出来るようになるのではないでしょうか。
出来たら複数名で、「Aさんの人生って、どんな人生だったんだろうね? 」と、語り合ってみるのもいいかもしれません。
第2話以降も、そんな人生の軌跡をたどるお話になります。
(モデルとなった場所について)
この小説に出てくる「喫茶山稜」は、松本市内の「民芸喫茶まるも」がモデルとなっています。
この「まるも」に隣接した旅館が「まるも旅館」になります。
正確には、この旅館の一部として、「喫茶まるも」があるようです。
「まるも旅館」は文中にもあるように、明治時代には乃木将軍も宿泊したことがある、由緒ある古い旅館です。最近はインバウンドの方の利用も多いとか。
松本市に行かれた際は、是非ともお越しください。
因みに国宝松本城は、戦国時代末期に石川数正によって建てられた城です。
石川数正は昨年の大河ドラマ「どうする家康」で家康の家臣として、松重豊さんが演じていました。
数正は徳川家の重鎮でしたが、豊臣秀吉との対立が激化していた時、家康を離反し、秀吉についたことで、裏切り者としての烙印を押された武将になります。
しかし今ではこの時に離反していなければ、家康は秀吉の軍団に攻め滅ぼされていたであろうとのことです。
今の国宝松本城があるのは、石川数正が秀吉側についたため秀吉の命により、作られた城なのです。
数正が家康配下のままだと、この名城は作られなかったかもしれません。
因みに、石川数正は、私の先祖でもあります。
つまり先祖が建てた城と言うことですね。
松本へお越しの際はぜひともお寄りください。ここも今はインバウンドの人が多いようですが。