6.記憶のしおり
「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」
第2話 「明るい神様」
【今回の登場人物】
明神健太 白駒池居宅支援事業所のケアマネジャー
葛城まや 明神が担当する認知症の利用者
徳沢明香 白駒池居宅の新人ケアマネジャー
横尾秀子 白駒池居宅のベテランケアマネジャー
立山麻里 白駒池居宅の管理者
生きてきた証
それを確かめたくて
シグナルを送るとき
6.記憶のしおり
数日後、明神が訪問から帰ってくると、同僚の徳沢明香ケアマネジャーが、葛城まやから電話がかかってきたことを伝えた。
「なんか日記の続きがどうとかこうとか言ってたけど、うーんよくわからなかった。電話かけてみて。」
明神は何だろう? と思いつつ、葛城まやに電話を掛けた。
「葛城さんどうかされました? 」
「え? 私電話した? 何を言いたかったのかしら。忙しいときにごめんなさい。ありがとう。」
という返事だった。
「なんだ、電話したことも忘れてたよ。まぁいいか。」
明神は徳沢に向かってつぶやいた。
それを聞いていたベテランケアマネジャーの横尾秀子がパソコンから目を離して声を掛けた。
「私だったら訪問するわ。何かがあって掛けてきたんだろうし。」
「はぁ… 」
明神は何も言わず、パソコンの電源を入れた。
あの日の帰り、明神は複雑な感覚に襲われていた。
なぜあんなに長居してしまったのか、さっさと切り上げて帰ればよかったのに、何故か長居してしまったのだ。
「葛城まやも大勢の利用者の一人にすぎない。まして認知症が進んでいるのだから、こちらがコントロールして従わせればよかっただけではなかったのか。なんであんなに付き合ってしまったのか。」と、
自分自身を問い詰めた。
あの時感じた、心が何となく温かくなった感覚を、明神は今否定しようと考えていたのだ。
しかし、葛城まやの人生の記憶に触れることで、単なる認知症が進行している一人の利用者でしかなかったまやの存在が、妙に気になる存在になっていることも明神は実感していた。
「だめだめ、ケアマネジャーとして深入りせず、必要なサービスを必要なだけ提供するケアマネジメントを実践する。それ以上でもそれ以下でもないのだ。」
と、明神は心の中でつぶやいた。
「その後のまやさんの人生がどうなったのか、気にはなるけど、訪問しても前回の思い出話のことはもう忘れてるだろうし。そう、認知症なのだから忘れてるにきまってる。」
明神は葛城まやのことを頭から振り払い、別の利用者の訪問記録を打ち込み始めた。
翌日、明神が訪問から帰ると、徳沢ケアマネジャーから、葛城まやからまた電話があったことを伝えられた。
今度は管理者の立山麻里が明神に声を掛けた。
「何かあるのかもしれないわね。一度訪問してみたら? 」
立山のその言葉に、明神は小さなため息をついた。
「そうですね~ 」
立山から言われると動かざるおえないと明神は思った。
明神が訪問すると、葛城まやが嬉しそうに待っていた。
「ごめんね、忙しいのに。日記の続きを思い出したくて、ごめんね… 」
まやは申し訳なさそうに明神を見つめた。
明神は驚いた。最近は日常生活もままならぬくらい物忘れが進んできているというのに、前回の日記を読んだことはしっかりと覚えていたのだ。
そして日記の東京タワーの思い出が書かれた場所にしおりが挟んであることにも驚いた。
このしおりが記憶を維持させる目印になったのかもしれないと明神は思った。
しかし、葛城まやへのちょっとした苛立ちもあった。ケアマネジメント以外のことでケアマネジャーを使うなと思ったのだ。
前回訪問は毎月の訪問という意味があったが、この訪問はモニタリングにも何にもならないものでもあり、単なる思い出への付き合いはケアマネジャーの仕事ではないのだと明神は自分の心に言い聞かせた。
しかし申し訳なさそうに明神を見ているまやの姿に、明神は厳しい言葉を投げかけたい思いを押さえた。
「わかりました。でも今回限りですよ。」
まやの表情がパッと明るくなった。