14.議論は育む
い
【今回の登場人物】
立山麻里 白駒池居宅の管理者
明神健太 白駒池居宅のケアマネジャー
横尾秀子 白駒池居宅のベテランケアマネジャー
徳沢明香 白駒池居宅の新人ケアマネジャー
葛城まや 明神健太が担当する利用者
話しあえば
気づきが一杯あることに
気付く
14.議論は育む
サービス担当者会議を開く前に、明神は立山達ににこれまでの葛城まやとの経緯について話をした。
最初は立山への反発もあったが、明神の中で吹っ切れたものがあったのだ。
「というわけで、施設入所させようという僕たちの思いは、あくまでも僕たちの勝手な考えであって、僕は葛城さんの思い出が一杯詰まったあの家での生活を続けてもらえればと思うのです。葛城さんに頼まれて日記を読んであげたんですが、その内容からも感じていますし、本人もそれを望んでいます。」
明神が熱く語った。
すると、醒めた声が反応した。
「あの~ 個人の日記を読んだんですか? 」
一緒に聞いていた徳沢明香だった。
その一言に、明神の表情がこわばった。
すると年配のケアマネジャー横尾秀子が発言した。
「いいんじゃない。本人が自分の人生誰かに知ってほしいと言ったんだから。」
「でもケアマネジャーがそこまでやらなくても。後見人さんに読んでもらえばよかったんじゃないですか? 」
徳沢明香は続けて疑問を投げかけた。
明神は、徳沢明香の意見はごもっともだと感じながらも、後見人の谷山五郎が日記を読んであげるような人物ではないと思っていたので、その発言には苛立ちを感じた。
立山麻里は明神の行動の良し悪しはともかく、明神が訴えたいことを聞いていこうと思った。
「そのことはまた考えるとして、実際葛城さんと関わる中で、明神君としてはこのまま在宅でサポートしていきたいと思ったのね? 」
「はい、葛城さんの人生の記憶をたどるうちに、その人生の記憶は葛城さんにしかないとてつもなく大切なもので、その人生へのリスペクトを忘れて、僕は単に認知症で一人暮らしは無理だからと、施設入所と決めつけていたところがありました。」
立山は明神の変化に驚いた。あれだけ機械的な仕事しかしなかった明神健太がここまで変わるものだろうかと思ったのだ。
立山自身、葛城まやを認知症でケアが必要な人という視点だけで見ていたのだが、人の姿勢をも変えるくらいのエネルギーを持った人なのだと驚いたのだ。
しかしここは冷静な判断も必要だと立山は考えた。
「そうね。確かに施設入所あるべきと私たちは思い込んでいるところもあるけど、私たちだって、勝手な思いで施設入所を決めてしまうのではなくて、専門的見地から入所が妥当という判断を下していってると思うの。どう、ケアマネジャーとしてその辺りは問題ない? 」
その立山の言葉に明神は頷いた。
「思いだけでなく、冷静に本人の身体状況や生活上の能力や認知機能を判断しなければならないということですね。」
明神は快活に返答した。教科書的な言葉だが、事実そうなのだ。
「もちろん、そのことは大切なことだとわかっています。それにほかの職種の人から見たら危惧するところがあるかもしれません。だから僕だけが突っ走らないよう、会議では皆さんの意見もしっかりと聞くつもりです。」
明神の姿を見ていた横尾がつぶやいた。
「若い人はいいわね~ そうやってすぐに柔軟な考えが出来るから。私なんて感情だけで動いているからさぁ~ 」
横尾はそれだけ言うと、視線を伏せた。
「横尾さんも感情だけで動いているとは思わないけれど、感情に流されないよう冷静な判断を下すことは大切なことね。明神君は葛城さんが在宅でも頑張っていけると判断したのね。その根拠はなんですか? 」
明神の態度に影響を受けるがごとく、立山の意見もきりっとしてきた。相互作用かもしれなかった。
「身体機能はその時の状況に応じてサービス内容を活用します。認知機能は、あの家にいるからこそ強みの部分も発揮できると思うのです。もし入所になったら、葛城さんの周囲には何もなくなってしまいます。かえって認知症を進行させてしまうのは明らかだと思います。確かに在宅にいても認知症は進行していくかもしれないけれど、あの家での長い暮らしの歴史そのものが、葛城さんにとっての強みではないか思うのですが、間違ってるでしょうか? 」
間違ってますか? と聞かれると、立山は返事に窮した。
少し考えてから立山は答えた。
「そうね。そうやって葛城さんの家で彼女の記憶をたどる中で、葛城さんの好きなものとか、心潤うものが浮かんできたのだし、間違いではなかったと思う。間違いではなかったと思うけど… 」
立山は言葉を濁した。自分でも迷いがあったからだ。
「のめり込み過ぎたんじゃない? って言いたいんでしょう? 」
横尾がメガネをずらしながら意見した。
「私もそう思います。ケアマネジャーはのめりこんだら、底なし沼にはまると思います。」
徳沢が続いた。
しかし横尾の本意はそこではなかった。
「いいじゃない。のめり込んでわかることだってあるんだし。のめり込まなければ葛城さんのことを深くわからなかっただろうし。認知症だから独居生活は無理だから、はい入所って決め込んでいたかもしれないしね。」
横尾秀子が淡々と語った。
「でもね、やはり節度というものも意識しないと、徳沢さんが言うように底なし沼にはまることもあるかもしれないね。」
横尾は意見を付け加えると、再び目を伏せた。
明神はそれらの意見をじっと聞いていた。葛城まやのこれからのこともあるが、ケアマネジャーとしての在り方についても頭の中で整理しようとしていたのだ。
管理者としての立山麻里にも迷いがあったが、麻里が関わった薬師太郎のことを思い出していた。
その時その薬師太郎の担当だった徳沢明香が、これまでの厳しい口調から一転して明るく意見を述べた。
「あ、でも、私の場合もそうだったけど、結局私たち、利用者から学ばせてもらってるんですよね。認知症で大変な人、困った人、何とかしなければならない人ってどうしても思っちゃうけど、気が付けば、私の場合、利用者さんに学ばせてもらってました。明神先輩もそうではないかと… 」
先に徳沢に言われてしまったと立山は思ったが、話をまとめやすくなった。
「そうね。仕事上かかわる多くの人の一人かもしれないけれど、気づけば利用者に私たちが学ばせてもらってることって一杯あると思う。それが明神君の大きな学びなのかな。」
立山の言葉に明神が反応した。
「それ、確かにそうだと思います。うまくは言えないけど、葛城さんによって僕は成長させてもらったような。とにかく、葛城さん自身の意思を大切にしながら、良い方向に向けて話し合います! 僕が暴走しないように、立山さんも一緒に担当者会議に参加してもらえればありがたいです。」
笑顔の明神に立山も笑顔でわかったと答えた。
しかし立山の中には焦りがあった。
自分以上にいつのまにかスタッフたちのほうが一歩も二歩も前へ行っているのではないかと不安にもなったのだった。