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退職したけど昨年が厄年すぎたのでここに記しておく

こんばんは、ナカニシです。
手取り15万社員として働いていましたが、なんと今年の6月、退職いたしました!

ここから退職まで、具体的に起こった(やらかした)昨年1年の出来事を記します。
ホント厄年かっ!てくらい、色んな意味で散々だったので、自戒の意味も込めて、皆さんも私みたいにならないよう気をつけてください!

起こったこと、退職するまでに至った出来事は5つ。
1.身体の不調
2.メンタル
3.仕事でのストレス
4.給料
5.パニック障害・不眠症・鬱

すべて同時に起こり、独立しているわけではなく、関連もしているのですが、一つずつ説明します。

1.身体の不調
 上京する前、大学4年の11月から恐らく自律神経の乱れでご飯が小学校低学年並しか食べられなくなっていました。定食1人前が半分いかないくらいで気持ち悪くなっちゃってたんです。炭水化物とか肉は特に、身体がほぼ受けつけない。唯一寿司はつまんで食べやすかった。日中は吐き気に襲われることも多く、しかし吐けず、といった日々が続きました。食事がとにかく苦痛でした。
 胃カメラやCTの検査も受けてたのですが異常ナシ。ストレスだろうとのことでした。体重は急激に落ち、ガリガリだった中学1年生時代の体重になりました。6キロは落ちたかな。
 そして乗り物に酔いやすくなりました。電車通学だったので毎朝酔ってました。よく途中下車して、しばらくトイレに引きこもってました。
 ご飯が通常の1/2しか食べられない状態で、上京して一人暮らしをすることになりました。周りもめちゃくちゃ心配してたのに、今考えると押し切って上京した私はアホでしたね。
 上京してもその状態は続き、発症から丸一年以上経った冬でも、ご飯を美味しく感じることなく食べ、2日に1回は食べきれずギブアップしていました。食べないと詰むのとわかっていたので、作業と思い頑張って食べていました。

2.メンタル
 食事が食べられないともちろんメンタルがおかしくなります。好きだった食が楽しめないストレスはもちろん、栄養不足がゆえに気が短くなって常にイライラ。余裕がなく、落ち込んだ時の下の振れ幅も大きくなり、一度落ちるとなかなか鬱から帰ってこれない。また、気圧で頭痛になりやすくなり、常にやんわり体調不良みたいな状態でした。くわえて、初めての土地で初めての一人暮らしのストレスも多かったです。仕事して、生活を営んでで精一杯。趣味に勤しむ余裕などない。当時は手取り15万※後述 だったので、常に節約を意識して、気を張って疲れていました。
 こんな状態なので当然誰かに八つ当たり(!)しないと済まなかったんですね。当時付き合って毎日電話してくれていた遠距離の彼氏に、毎晩呪いのように愚痴を吐き、ネガキャンし、泣きヒスりました。彼の実家の太さ、大手勤めの待遇の良さを一方的に妬んで責め立てたりもしていました。私ヤべ〜〜〜〜〜〜〜〜。もちろん振られるのですが、それが決定的なダメージで、依存先はなくなるわ、彼からは雑に扱われ最後は如何に私が悪いかみたいな話をつらつらされるわで、私は自己否定が止まらんくなり、自分に価値を見いだせないままメンタルがどんどん沈んでいきました。もともと自己肯定感が低かった手前、また体調や仕事でメンタルが殺られていた手前、クリティカルヒットでした。人生で初めてできた彼氏。あまりのショックと止まらない自己否定に、仕事も手につかなくなったし、当時の認知がバグってるせいか記憶の空は全部曇天でした。

3.仕事でのストレス
 仕事でも色々ありました。体制が整っていないベンチャーで経費がないので、出張は複数人で車に乗り込んで夜間高速をかっ飛ばす。日本全国色んなところへ行きました。平日も2〜3回出張し、片道2〜3時間以上かけて茨城や千葉、秩父などに平気で行っていたので、体力的な疲れもすごかったです。気持ちはいろいろな所へ行けるので楽しかった一方、他のストレスが積み重なり、身体は徐々に限界に近づいていました。
 人間関係でのストレスももちろんありました。苦手な先輩がいて、長文で社内チャットで名指しで感情的に叱られる、てか基本的に何やってもめっちゃ叱られる、仕事中にいきなり電話かかってきて1時間説教、「一般常識がない」「大学卒業したのにこんなことも知らないのか」「何て大変なことをしてくれた」「この会社の仕事向いてないのになんでやるかな」「地元に帰って医療事務やれば良いのに」「責任も果たせないのか」など、けっこうキツい否定を話の冒頭から言ってくる先輩でした。私が知りたいのは先輩の言う「常識」の中身だったのですが、いかに私が呆れてるか、みたいな話が大半で話聞くのしんどかったっす...。一時期、対面で会うのがその先輩だけだった時期があり、基本的に何やっても怒られるだけなので、自己肯定感爆下がりしてました。その先輩と、出張先の上司(気キツめ)の板挟みになった半年間は本当に辛かったです。何言っても否定されるので萎縮して何も言えず、ずっと2人の顔色を伺うようになりました(顔色伺ってないで仕事しろ)。今思えば小さい世界にいて、私の受け身具合にも愕然モノなのですが、社会人1年目の当時は社会のことも、責任を果たすとはどういうことなのかもよく知らず、何なら2人の先輩が世界のすべてだと思っていたんですね。
 私が他人軸が故に苦労したことはほかにも数知れません。1人で一ヶ月地方に出張し、民泊に泊まったこともあったのですが、企業のイメージを壊さないよう民泊のご夫婦に気を遣いゴマをすり、支店の運営に協力してくれた地域の有志団体の方にも気を遣いゴマをすり、、、で休みの日も挨拶回りに地域のイベントに顔出しに行って気をすり減らしており、結果的にそういった積み重ねがストレスになっていきました(気づいてなかったけど自分は毎日1人でのんびりする時間が必要)。
 
4.給料
 これは言うまでもありません。立ち上げ1年目のベンチャーということでキャッシュが徐々に厳しくなり、秋頃に給与が遅延し始め、最終的に3ヶ月分遅延する状態が半年ほど続きました。
 失恋&出張後で身体もメンタルもボロボロだった私にこれまたクリティカルヒットしまして、2ヶ月分は貯金で何とかなったのですが、1ヶ月分親に借りるとなると当然親から「どういうこった!?」と怒り心配・そんな会社辞めろ催促の混ざった電話がかかってきて、そのやりとりの繰り返しに疲れたことや、将来に対する金銭的不安が募り、目の前の生活がグラグラ揺らいでいく恐怖でこれまた病みました。仕事内容自体は楽しく、就活時代からお世話になった会社ということもあり、辞めるという冷静な判断に時間を要しました。昇給は数年据え置き、ボーナスもちろんなし、給与も、3ヶ月どころか4ヶ月、5ヶ月...と遅延していく可能性あり。それでもらえて手取り15万。ストレス発散でぱっとレンタカー乗りたくても乗れない。休みの日は遠出できない。趣味のライブ映像購入できない。新品の服が買えない。家はボロボロでセキュリティの心配なマンション。このクォリティの生活をあと数年続けるのか。既にストレスが溜まっていたこともあり、ますます抑圧された気がして自暴自棄になっていきました。

5.パニック障害・不眠症・鬱
 この1〜4の状態が同時に起こった結果、夜はスマホを徹底的に絶っても眠れない、朝も起きられない、何なら気持ち悪くて電車に乗れない。満員電車恐怖症になり、電車に乗った途端、窓をかち割って出たくなる衝動と、強烈な吐き気と不安でいてもたってもいられなくなる。途中下車しながら何とか出社(遅刻)し、相当な精神力と体力を要して午前中は疲れと吐き気で仕事にならない。みたいな状態が続き始めました。睡眠も、不安で頭がグルグルして寝られないのが悩みで、いっときSNSで狂ったように「今日の目標は夜23時に寝ること!」と呟いては達成できないのループを繰り返していました。
 するとある時から、だんだん頭にうっすらモヤがかかったような感覚になり、元彼への未練も相まって自分の存在価値がわからなくなり、今なら電車に飛び込めるな、など邪な考えがよく顔を出すようになりました。どんなに入念に準備しても遅刻したり、意図せず物忘れがめちゃ激しくなったりで、頼まれた仕事をロクにこなせない状態となりました。「笑い」の感情も喪失しました。笑えない恐怖よ。元彼への未練をブツブツ言いながら徘徊するだけのヤバイ奴に成り果て、結果地元に帰って休職することになりました。
 ここまで来ると、もう自分では心と身体のコントロールが効かなくなるものです。給料をまともにもらえない仕事は辞めるべきだし、元彼に関するネガティブなこと考えたくないし、でも自分では止められない。仕事も辞められない。誰とも話したくない。もう何が何だかわからない。
 そんなこんなで病院に行ったら、鬱状態と言われ、退職に至ります。

 

 以上、ここまでつらつらと昨年度の厄年の由縁を書き記しましたが、いや〜、悲惨ですね。あ、出来事ではなく、私のマインドが。
 一つ言えるのは、全て私が受け身で、他責であったが故に起こったのだということです。生活が辛いのに我慢したのは自分、人から言われたことを自分で考えず真に受けてたのは自分。自立してなかったのは自分。常識を学ばなかったのは自分。そんな自分に気づかず、ただ必死にルールや人の言うこと、人からどう思われてるかを気にする日々でした。
 自分の問題に根本的に向き合っていなかったから、自己肯定感が低く、意志が弱くて周りに依存したり、周りに振り回されてるなと感じ、自己決定できないまま潰れたのです。辛いなら辛いと言わないと。
 とにかく、今思えばしょーもない理由で退職していますが、社会のレールに何となく乗っていれば良かった大学時代とのギャップに深く気づかされた社会人1年目でした。改めて、鬱は、本当に辛いです。自分ではどうしようもなくなった手遅れの状態が鬱なので、コントロールが効くうちに対処する必要があります。幸い今は、薬を飲んでパニック障害も不眠症も良くなってきています。  

 でもね、ベンチャー企業だったからこそできた業務経験、日本全国に出張してたくさんの人と出会った経験、いっぱいあります。別記事で書きますが、転職活動では前職の経験をPRしまくった結果、短期離職の私でも2社内定を貰えたんです。
 かちっとした企業じゃなかったからこそ、得られた視野の広さ、知った世界の広さ。日本全国の型にとらわれない人たちの生き様。それら全てが宝物だし、病んだことで自分と向き合って弱さを知ることができました。以前と比べ、かなり精神的に自立したと思います。

はい、つらつらと情けないことを書きましたが、この経験の成仏をここに願い、また、同じように悩んでいる社会人の皆様のお役に立てれば幸いです。

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