非合理な特殊解 23
エマがいなくなった週の土曜日の夜10時、夏子はローラのお部屋のドアを叩いた。
「誰?」
「私。夏子。」
髪を黒く染め、黒いリップを塗り、とても硬そうな太い首輪をしたローラがドアから首を出した。
「は?何なのその格好。」
ローラは急に怒り出した。
「何?ドレスコードあるとこ行くの?ドレス全部処分しちゃったよ。」
「特にあるわけじゃ無いけど。とりあえず、ちょっと部屋入って。私の着よ。」
「ローラの?」
「うん。」
見せられた服はどれも着たことがないようなゴスロリなのか、何なのか分からない服だった。ハロウィンでもないのにこんな服着てる人がいるものなのかと思った。
「私、外出られないよ。こんな服着たことない。」
「出られるよ。いいじゃん。誰も見てないよ。」
「誰も見てなくても寒いの苦手なの。」
「じゃ、こっち。」
ローラは黒のゴスロリロングドレスを出した。襟とスカートが重そうだ。
「これならまだ。こういう感じの人が集まるところ行くの?」
「そうじゃないよ。私みたいなバイとか、ゲイとかビアンとか。ノーマルもいるけどね。いつもの仲間は、フランス人とポルトガル人と中国人と日本人の5、6人かな。もう(新宿)2丁目にいるみたいだから、早く着替えて。」
「じゃ、ゴスロリじゃなくていいでしょう?」
「いいけど、じゃ、ちょっと着替えてきて。」
「分かったよ。」
3回ほど着替えて、やっとローラのOKが出た。
2丁目に着くと、3箇所目クラブでローラの仲間に合流した。その頃にはローラは少し泥酔気味だったから、部屋の隅で膝枕して少し寝せていた。すると、小柄なポルトガル人のゲイのサンドロという男の子が夏子に話しかけた。
「ローラとは同じ学校?」
サンドロは夏子の隣に座った。
「違うよ。一緒に住んでるの。シェアハウス。」
「初めてだよ。シェアハウスの人連れてきたの。はははは。」
急に笑い出したサンドロに夏子は戸惑った。
「どうしたの?」
「ようこそ世界へって感じ。」
「うん?」
夏子にはよく意味がわからなかった。サンドロはそんな夏子をケラケラと笑った。
「体力には自信ある?」
「割と。」
「じゃあ、逃げられないな。頑張って。ははは。」
「うん?どういうこと?」
「もうあなたはローラに捕まっちゃったってこと。ははは。」
「捕まる?」
「大丈夫だよ。すぐに分かるよ。」
夏子は膝の上のローラの髪を撫でた。サンドロもローラの寝顔を見て、夏子にまたクスッと笑った。
朝になり、電車が動き出すと、みんなとは別れて夏子は一人築地に向かった。朝6時半に西田と待ち合わせていたからだ。いよいよその日になっていた。鈴木恵一は来るのだろうか。
築地駅に着くと、すでに西田が3b出口にいた。最初は夏子一人で立っている事にして、西田は5、6メートルほど離れた場所で携帯を操作している人を装った。
7時になると休日とはいえ、少しずつ人通りが増えた。そんな中、新富町の方から歩いてきた小柄なおじさんがb出口の近くで周りを見回していた。夏子はその人に声をかけてみる事にした。
「あの、鈴木さんですか?」
「あ!女の人だった?」
「はい。男のふりをしてメッセージ返していました。」
鈴木は少し笑顔になって言った。
「近くの喫茶店に入ろう。」
鈴木は通り沿いの喫茶店に入った。夏子は西田に手招きをして、着いてきてと合図した。オープンしたばかりでまだほとんど他の客はいなかった。夏子と鈴木は一番奥の席に座った。西田は入り口近くの席に座った。
「で、どこで気付いた?」
鈴木がおしぼりで手を拭きながら言った。
「3、4通見て驚いたんです。でも、今の今まで本当かなって思ってましたけどね。本当でしたね。どうしてああいうメッセージしたのですか。」
夏子はこの普通な見た目の男がどんな狂った内面を持っているのか、と楽しみになった。
「メッセージに生身の人間を感じないたと思って最初怒ってたんだよ。サクラ殺してやろうかと。でも怒ったってしょうがないなと。ただ、本当の人間のなら気付く人いるかなと、釣り糸を海に投げるような感覚でやってみたんだよ。であんたがかかった。ははは。」
鈴木はクスリと笑った。
「異様でしたよ。すごくお面白かったですけど。」
夏子もクスリと笑った。
「ただあまり良い仕事じゃないから、早く辞めて違う仕事したらいい。」
鈴木はタバコを上着のポケットから出したが、テーブルの禁煙マークをチラリと見て、内ポケットへ戻した。
「そうですね。」
注文していたコーヒーが運ばれてきた。夏子はいつも通りぶらっくコーヒーをごくりと飲み込んだ。少しほっとしたのか、コーヒーを飲み込んでも急に眠くなった。
「でも女だったか。男ならな。」
鈴木はサンドイッチを頬張り始めた。
「男なら何ですか?」
あのメッセージの見たまんまの罵声は本音だったのか、と夏子は残念に思った。
「俺は大阪で会社やっていて。あと一人くらいなら雇えるかなと。ただ、半分力仕事だから男がいいな。それに男の社員寮しかないからな。」
鈴木はサンドイッチを凄い勢いで食べ続けながら言った。夏子は10秒くらい前のこの人に対する疑念を消してみることにした。
「あの、実は、Kyoko_Mizunoは私一人で動かしていたわけではありません。実はもう一人いたんですよ。」
夏子は西田に手招きをした。
西田は自分の飲み物を持って、無愛想に鈴木に挨拶をした。
「あの鈴木さん、この子、雇ってもらえませんか?親が小さい頃いなくなって、お姉ちゃんと暮らしてきたみたいで。普通にみんな知っている事全然分かってなかったりするんですけど、事務作業はすごく得意だと思います。体はこの通り、痩せていて筋力無いですが、 きっと仕事をしながら鍛えられていくと思います。どうか宜しくお願いします。」
夏子は頭を下げた。
「は?あんた急に何言ってんだ?」
西田は夏子に言った。
「この方、大阪で会社してて、男子寮あって、男の子なら1人雇ってもいいかなって思っていたんだって。」
夏子は西田に説明した。
「大阪?どんな仕事ですか?」
西田は夏子が思っているよりまともだった。まともな質問をしている西田に夏子は安心した。
「最初は運搬のような仕事かな。」
鈴木は西田を見据えて言った。
「どんな会社なんですか。」
西田も真っ直ぐ鈴木を見て行った。
「平たくいえば、金属の問屋だよ。」
「西田くん、これ、悪い話では無いと思う。」
夏子は西田に言った。
「俺だって、イヤイヤ連れて行くなんてことはしないよ。子も孫もない俺の残りの人生で、出来る人助けなんてこれくらいしか無いからな。」
鈴木はまたポケットのタバコを取り出そうとして、またやめた。
「ダメだったら、やめればいい。」
夏子は下を向いてしまった西田に言った。
「俺も、やる気がないなら、辞めてもらうよ。ただ、社員みんないい奴だよ。」
鈴木は鞄を開けて、鞄の中の書類を軽く確認した。
「どうする西田くん。」
鈴木はそう言うと、鞄を閉じて、西田を見た。すると急に前を向いて言った。
「お願いします。」
「鈴木さんありがとうございます。」
夏子も頭を下げた。
鈴木は喫茶店のテーブルに置いてある紙に何かを書き始めた。
「俺は中本という名前だから。東京の出張は明後日までで、火曜日の夕方20時ごろ電車に乗るつもりだから。一緒に来るなら、その時間に荷物持って東京駅に来て。着いたらこの、俺の番号へ電話して。あと、その住所は寮だから。転出届出しといて。」
そう言うと、すぐに中本はペンを鞄のポケットにしまい、全ての会計を済ませて早足で出て行った。
「何か、良かったね。」
夏子は中本の中に狂ったものが何も見つけられなくてクスリと笑った。
「良かったかな?」
西田は不安気に夏子を見た。
「うん。今よりは。早くお姉ちゃんに言って。区役所行ってきて。」
まだ狐につままれたような顔をしている、隣に座る西田を見ながら、また呆気ないお別れが来たと夏子は思った。
西田はその次の日の夜の仕事から来なくなった。当然だ。もう行ってしまったから。
職場の隣の席の橋本はずっイライラしていた。
「近藤さん、西田何で休みなの?」
「知りませんよ。ただ数日前に、北海道へ引っ越すって言ってましたけど。」
「引っ越す?じゃもう来ないって事?」
「何も聞いてないんですか?」
「アイツ、ふざけんな!」
「そうでしたか。残念ですね。」
橋本は急に大声を出したが、夏子は淡々と業務を続けた。今日は小鹿になる必要性を何も感じなかった。橋本は席を立ってどこかへ向かいながら電話をかけはじめた。おそらく木田へ連絡したのだろう。何も告げないで辞めるとこんな感じなのかと、そして私の出口はどこだろうと夏子は思った。
その日の帰り道、いつものように渋谷駅から電車に乗った。西田は今頃何をしてるのだろう、夏子はそんな事を思いながら窓の外の街を眺めた。新宿駅でドアが開くと、どっと沢山の人が降り、沢山の人が乗り込んだ。夏子は車両の奥に押し込まれた。外が見えなくなってしまったなと思いながら隣を見ると、スーツ姿の塚越が足元の大きな鞄を動かしていた。
「おはようございます。三社の時も熊野神社の時も色々お世話になりました。」
「ああ、日本橋の。お仕事こちら?」
「はい。引っ越して日本橋とは縁遠くなってしまいました。」
夏子の正直な気持ちだった。
「じゃ、今年の祭りは?」
「難しいかも。」
「そんなこと言わないでよ。日本橋のみんなのとこ行ってみなよ。縁遠くなった?そんなことみんな思ってないじゃないか?だからあなたからそんなふうに思うことはないんじゃない?」
塚越も思いの外真剣に答えた。
「そうですか?」
「そうだと思うよ。」
「じゃ行ってみます。ありがとうございます。」
夏子は塚越に微笑んだ。塚越は続けた。
「今年の熊野神社、絶対来て。うちの町会、再開発で無くなるんだ。最後のうちの祭りなんだ。絶対来て。盛り上げて。」
夏子は一瞬言葉が出なかった。こんなにお祭り大好きな人から地元のお祭りを奪うなんて、神様も中々残酷だと思った。でもそんな辛い気持ちを飲み込んで、塚越は笑っている。悲しい顔をしてはいけないと夏子は思った。
「塚越さん、ありがとうございます。ぜひ。」
夏子は目白で降り、電車の中の塚越へ手を振った。
電車が去ると、夏子は携帯を取り出し、メッセージした。
「ユキさんおはよう。今日遊びに行っていいですか?」
するとすぐに返信があった。
「昼過ぎにマンション来て。寝てたら起こして。」
塚越の言っていたことは本当だなと思った。
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