市毛陽子

市毛陽子

最近の記事

小説 空気 17 七夕 (完)

私は寝そべりながら国語のノートを開いて、ぽけっとから鉛筆を取り出した。 授業で「七夕」についての詩を書いた。 授業時間内に終わらなかった人は宿題になった。 私は詩を何個か書いたが、どれも気に入らなかった。きっと屋根の上で考えた方が、良い言葉が思いつくような気がした。だから宿題にした。 夏の夜明け前の屋根瓦の上は、少しだけひんやりして気持ちがいい。 先程まで光っていた星も、薄くなっていく。 そこかしこから小鳥の声が聞こえ始めた。 お兄ちゃんと最後に会った日から10日ほど経

    • 小説 空気 16 像

      昼過ぎからの日照りのせいで、帰りの挨拶をする頃には、校庭の水溜りも小さくなっていた。 横断歩道の信号を待つのも暑くて嫌になった。 森に入ると、幾らかは涼しくなるが、最近は蝉の大合唱が頭を劈(つんざ)いてくるようになった。夏は耳を塞ぐイメージを毎日何度も使うことになる。夏は大変だ。 下を向いて歩いていると、新しい轍を見つけた。目の前で急に折れ曲がっている。この場所は、前に見た、急に折れ曲がったタイヤ痕を見つけたと同じ場所だった。身をかがめて木の枝の下から草原の奥の野原の方を

      • 小説 空気 15 後ろ

        今週はずっと雨の日が続いた。梅雨だから仕方がないけど、外で遊びにくいのが難点だ。難点というのは、外で遊べないというわけではない。 むしろ、雨の日に外で遊ぶのは好きだ。土砂降りの日などは、そこら中に水が流れて、そこら中に川ができて、それらを堰き止めたり蛇行させたりしながら無限に楽しく遊べる。 ただ、お母さんはいい顔をしない。 「服が汚れて仕方ないから、雨の日は外で遊ばないで。」 とか言ってくる。 「じゃあ、家の庭なら、服を着ないで遊んでいいでしょう?汚れないから。」 とか言って

        • 小説 空気 14 隣

          今日もお兄ちゃんは現れなかった。 安堵しながらお家の前まで来ると、家の後ろの杉の木に巣のある大きなカラスがこちらを見ていた。この子は鳴くと「カアカア」といつも鳴く。だから、私は自分の中で、カアカアちゃんと呼んでいた。 「ただいま。」 と呟いてお家に入った。 玄関を開けると、いつもよりやけに静かだった。お母さんの靴が無い。居間を覗くと、片隅に用意してあった大きな荷物も無くなっていた。 その時 「カアカア」 というカラスの声が聞こえた。 お母さんは出産のため入院したらしい。

          小説 空気 13 慣れ

          その日の放課後、朝顔の苗を、兎小屋の後ろから用具倉庫の後ろへ植え替えた。加賀さんは家の手伝いがあるからと、帰りの挨拶をしたらすぐに帰った。私は朝顔の苗の伸び始めた蔓がしっかりフェンスを掴めるように植えた。 ランドセルを取りに教室へ戻ると、まだ先生はクラス一人一人の理科の観察ノートに花丸とコメントを書いていた。 私がランドセルを取りに教室に入るないなや、 「佐々木さん、あなた今日は何をしていたの?」 と先生は訝しげな表情でこちらを見た。 「あ、えーとえーと、内緒なんです。」 私

          小説 空気 13 慣れ

          小説 空気 12 内緒の花園

          ブランコの事故が起こった数日後、クラスの席替えがあった。 川上先生はしっかりと願いを叶えてくれた。 私は窓際の一番後ろの席で、いつも静かな加賀さんの後ろになった。 これでいつでも空を眺めることができる。 小山は廊下側の一番前になり、また後ろの席の人に強引に話を聞かせている。 「今度の夏休みはどこへ行くの?私はシンガポールへ行くの。」 「へーそうなんだ。」 「お手紙出してあげるね。」 「・・・。」 なぜか、私が恐ろしいくらいに恥ずかしくなった。 前の席の加賀さんは、小山の話を

          小説 空気 12 内緒の花園

          小説 空気 12 内緒の花園

          ブランコの事故が起こった数日後、クラスの席替えがあった。 川上先生はしっかりと願いを叶えてくれた。 私は窓際の一番後ろの席で、いつも静かな加賀さんの後ろになった。 これでいつでも空を眺めることができる。 小山は廊下側の一番前になり、また後ろの席の人に強引に話を聞かせている。 「今度の夏休みはどこへ行くの?私はシンガポールへ行くの。」 「へーそうなんだ。」 「お手紙出してあげるね。」 「・・・。」 なぜか、私が恐ろしいくらいに恥ずかしくなった。 前の席の加賀さんは、小山の話

          小説 空気 12 内緒の花園

          小説 空気 11 すれ違い

          帰り道の最後の横断歩道を渡り終えると、空を見上げながら歩いた。 高い白い雲と、灰色の低い雲が逆の方向へ向かって流れて行く。雲のおかげで風が見える。空は面白い。 森に入り、空が小さくなると、仕方なく前を向いて歩いた。 先生はお母さんを素敵な人と言った。嬉しかったのに、違う、とも言ってしまいそうになったことを思い出した。 川上先生も 「世の中そんなもん。」 と言うだろうか。 折れ曲がった轍の所まで来た。朝には無かったタイヤの跡が何本か増えて、朝に見た、蓮華草を踏み潰した車のタイヤ

          小説 空気 11 すれ違い

          小説 空気 10 運

          クラスのみんなが帰っても、私はなかなか立ち上がれないでいた。 川上先生に何か言わないといけない事があると思ったが、何と言おうか考えていた。 教室の中は、私と川上先生だけになった。 先生はテストの丸付けをしていた。 私は先生の机へ静かに近付いていった。 先生の側まで来ると、先生はこちらを一瞥もしないで言った。 「運が良かったわね。高田くんも正直で。」 川上先生が解決してくれたと分かった。 「あ、あの、どうして信じてくれたのですか、私ではないって。泉先生だって周りの人たちだっ

          小説 空気 10 運

          小説 空気 9 職員室

          職員室の入り口まで来ると、どこへ行けば良いか分からずにそのままそこで下を向いたまま立っていた。周りを見渡すと、廊下にもやはり、指を差しながら少し離れたところでこそこそ話している人たちが見えた。私はこれから先生に叱られるのかもしれない。その場面を見に来たのだろう。 その2年生の先生は、怪我をした生徒を保健室へ連れて行くと、職員室へ入った。そして名簿を開き、怪我をした生徒の自宅へ電話をかけた。 中々電話に出ない。 職員室の入り口でまごついている良子を見つけ、手招きをし、自分の

          小説 空気 9 職員室

          小説 空気 8 ブランコ

          休み時間になった。 校舎から子どもが沢山飛び出して校庭に散って行った。 1年生の頃は、他のクラスメイトが教室で授業中でも、一人で校庭の遊具で遊ぶ事も平気だった。しかし、3年生になって、担任の先生が口うるさい人になってしまったため、そうもしにくくなっていた。 やはり休み時間は良い。他の子どもに紛れて、どの遊具でも遊べる。 私は、4個並んだブランコの右から二番目を漕ぎ始めた。 朝曇っていた空は完全に晴れ上がり、入道雲が立っていた。すぐに全てのブランコが埋まり、待ちの並びができ

          小説 空気 8 ブランコ

          小説 空気 7 ます計算

          1時間目の算数の授業は、掛け算の100ます計算から始まった。 ます計算は、占いみたいで面白い。 私は、ます計算をする時は、すべてのマスに入る0を最初に書き入れる。次に、全てのマスに入る1を全て書き入れる。次は2を全て書く、というように、9まで順に数字を埋めていく。もし、3を書き入れ始めてから、1や2を書きそびれてしまった箇所を見つけても、書かないようにして、全部で何個空欄ができてしまうかを数える事にしていた。そして空欄が0個なら、今日はいいことありそうだな、と思っていた。

          小説 空気 7 ます計算

          小説 空気 6 痕跡

          次の日の朝、玄関を出てからしばらく、明るい曇り空を見上げていた。少し気持ちが落ち着いてきたところで、学校へと歩き出した。 昨日お兄ちゃんと会った場所を通り過ぎた。 2人で座っていた所の草原に、痕跡が少しあるくらいで、あとは特に何も気配を感じなかった。 木立に入り、背後から車の気配がした。細い道の端へより、車が通り過ぎるのを待った。車の中で、近所のおじさんが微笑んだ。私はコクリと軽く会釈をした。 車が去って、道を歩き始めようと足元を見ると、コンクリートの道からはみ出ながら

          小説 空気 6 痕跡

          小説 空気 5 悪夢

          玄関の方から扉の開く音がした。祖父が帰ってきたようだ。私は玄関へ走った。 「おじいちゃん、おかえり。おんぶして。」 私は扉を閉めている祖父へ言った。扉を閉め終わると、私の方を見て淡々と言った。 「重いからなぁ。」 祖父は肩からかけていた竹割用の鉈(なた)を下ろし、腰に掛かっていた植木の鋏(はさみ)を外して鉈の横に置き、腰を下ろした。 「じゃあいいよ。」 私は祖父の背中に向かってそう言うと、その背中に抱きついた。 「どうした?」 何と答えたら良いか分からず、暫くそのまま泣いて

          小説 空気 5 悪夢

          小説 空気 4 テレビのニュース

          居間に戻り、テレビを付けた。近くで寝ていた妹が寝返りを打ったので、慌ててリモコンを握り、音量を下げた。 お母さんがコーヒーカップを片手に居間のテーブルに座った。 「今日の主なニュースです。〇〇県警の不祥事、警察の覚醒剤事件隠蔽の闇が明らかになりました。・・・」 私はお母さんを見た。お母さんは無表情でテレビを眺めている。 この前の日曜日にテレビの討論番組を見ていた時、お母さんと議論したことを思い出した。 「お母さん、リクルート事件で有罪になった人たちは牢屋に入るの?」

          小説 空気 4 テレビのニュース

          小説 空気 3 助言

          息を切らしながら、鍵のかかっていない玄関の戸をそっと開けた。家の中は真っ暗に近かった。居間を覗くと、2学年下の小学1年の妹が2枚並んだ座布団の上で昼寝をしていた。まだよく眠っている。 隣の台所も暗かったが、ガスコンロの真上の小さな明かりだけつけて、お母さんが何か炒め物を作っていた。私は水を飲もうと台所に入った。 「お母さん、ただいま。」 そう言いながら、コップに水を汲み、飲みながらお母さんを見た。 「おかえり。」 お母さんはチラッと一瞬私を見て、すぐに炒め物に視線を戻した。お

          小説 空気 3 助言