Vol.3-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “避難と救出の様子”
前回は道野さんのご自宅が浸水して垂直避難されたときのエピソードをお話ししました。今回は発災当時の”道の駅さかもと館”での避難と救出の様子です
”道の駅さかもと館”での避難と救出
「この”道の駅さかもと館”(発災)は朝4-5時だったので職員はだれもいませんでしたが、5人の方が雨宿りをしていたそうです。そのときに球磨川の本流の水が下流から上がってきました、対岸に強い流れがでましたので逆流がおきて下流から水が迫ってきたんです。(かなり危険な状況になっていたので)地元新聞配達の方が自分のくるまで館内に突っ込んで扉を破って中に入って、そのくるまの上にみなさん乗っかって館内の一番高いところに避難しましたが、それでも水が迫ってきた。今いるところから(水位が)3m50cmのところまできたようです。そのためさらに高い排煙窓のところまで上がり、排煙窓を破ってみんなで垂直避難をしないといけなかった。やがて自衛隊のヘリコプターが救助してくれたそうですが、それを聞いたのは発災から1カ月経ってからでした」
高台とお寺のある場所
「この辺りは昔から水が多かったので、お堂さんという高台があるんですよ。お寺とかそういうところは予め高いところにあるんです。普段は信仰や公民館的な場所であり、いざという時は避難できる場所に位置しているわけです。もちろん近代的な公民館は近いところにあるんですけど、昔からあるお堂というのは高台にあるんです。そういうところなんです。」
球磨川は熊本県南部の人吉盆地を貫流し、支流を併至り八代海(不知火海)に注ぐ一級河川で熊本県内最大の川であり、最上川・富士川と並ぶ日本三大急流の一つとなっています。過去何度も豪雨により水害を繰り返してきた歴史があり、昭和40年7月洪水では水位が2m10cmにもなったと言われていますが、令和2年7月豪雨では少なくても4m30cmと過去最大の水位となったと言われています。昔から残されてきたお寺やお堂が高台にあるというのは、水害からの避難を繰り返してきた歴史を物語っているのではないでしょうか。
インタビュー#4に続く