Vol.5-「令和2年7月豪雨での球磨川氾濫の水害被害」インタビュー “ボランティア支援とくるまの撤去”
前回は被災後の状況とボランティアの支援についてお話ししました。今回も引き続きボランティア支援とくるまの撤去についてです
熊本地震は経験していた、”地震と豪雨災害は別物”
「実はこの豪雨災害の前に、わたしたちは”熊本地震”という大きな災害を経験していたので、それなりに防災や災害後の流れという備えはもっていたつもりではあったんですが、地震と豪雨災害は全然別物だったなとか思いました。しかもこれまでは親族などで協力して復旧ができていたんですが、これだけ超高齢化社会になると親族も当てにできないことを痛感しました」
「そういった中で”情報発信”と”その支援をしてくださる方をどう募るか”が復旧を進めるための大きな柱になります。いかに良い支援団体に巡り合うか、ここは本当に重要だったなと思っています。」
コロナ禍でのボランティア受け入れ
「今回の豪雨災害で惜しむらくはコロナ禍だったということです。様々な活動制限があった上に道路は寸断されて普通に人が入って来れない状況でしたので、ボランティアさんは坂本町外に設置された災害支援ボランティアセンターに一旦集まり体温を測って、そこからバスで遠回りし入ってこられて、ここで2-3時間活動したら感染リスクがあるため帰っていかれた。また停電断水が続いてボランティアさんの健康問題もありましたし、ここに入って復旧活動するのも大変だったんです。」
被災したくるまの撤去
「道路が寸断されていたので、重機が入ってあらかた道路を確保しないと細かい作業が始められない。ところがいろんなところでくるまが被災して水に浸かったままでしたので、まずはレッカーでくるまを移動しないといけないんですけど、その前に保険会社が入ってきて被害を確認しなければいけない。そういったことも全然進まなかったですよね。そういったことを走馬灯のように思い出してきましたが、そういう状況でありました。」
インタビュー#6につづく