【小説】一九八二年、僕はエロ本の出版社に入った。#015
美大に入学したものの三カ月ほどでいかなくなってしまった飛鳥修平は、その後約二年ほどはただ東京で暮らしていくためだけにアルバイト生活を送った。バイトは色々とやったが、最も長く続いたのは東銀座の東急ホテルだった。職種はリネン係。客がチェックアウトした後の、汚れたシーツやピロケースなどを回収する仕事だ。給料は安かったが従業員用の風呂があったり、社員食堂も安かったのでズルズルと続けてしまったらしい。
しかし二〇歳を過ぎて「これはさすがにマズイ」と思い、少しでも美術に近い職業をと小さなデザイン会社に就職した。そこで印刷の工程から、版下に線を引くロットリング、カラス口と呼ばれる製図用ペンの使い方などを学んだ。そしてまた二年が経ち、ビニール本出版社の「九鬼」に入社する。
北海道時代の友人と久しぶりに会った際「出版社に勤めている」と聞かされ、ふと、そうか、出版というのもいいなと考えたのだという。飛鳥のいたデザイン会社ではファミリーレストランのメニューやキャバレー・チェーンのチラシなどを主に制作していたので、価格を付けて売られる「出版物」のデザインというものに、ワンランク高いステイタスを感じたのだ。編集にも興味があった。求人雑誌を見ていたら『編集者募集』という広告があった。そこが九鬼だった。
九鬼は現在のAVメーカー「KUKI」の前身。寺山修司が主宰する演劇実験室「天井桟敷」の文芸部員だった中川徳章という人物が設立した。当初は編集プロダクションとしてアリス出版などの下請けとして自販機本の制作をしていたが、やがで自社でビニール本の制作を始め、大きな成功を収めた。飛鳥が入社したのはちょうどその端境期。一九七六年から七七年頃のことである。
当時の九鬼には三つの会社組織があった。まずは営業と経理を司る「九鬼」、そして自販機本の編集・制作をしていた「ランダSS(LANDA SS)」。このトップが天井桟敷で中川の盟友だった芝田洋一という人物。その芝田と飛鳥が、後に九鬼のアート的なビニール本デザインの中心になっていく。もうひとつが写真家集団の「イエロー・キャブ(YELLOW CAB)」だ。国吉紀行というカメラマンをリーダー格にして、野村誠一、藤田健吾、平田友二、斉木光吉といった、八〇年代のグラビアを作り上げていく才能が結集していた。
僕がJACK出版に入った一九八四年は、九鬼がアダルトビデオ制作を始めた頃。ビニール本の出版からは手を引き始めていたせいか、会社全体の名称も「KUKI」に改められていた記憶がある。
一般の人は「アダルト誌」「エロ本」というとすべて同じに思えるだろうが、実は大きくわけて三種類に分類される。まずJACK出版で編集していた『ビリー』や『ビート』、あるいは暗夜書房・末井昭編集長による『写真時代』などは通常の書店で売られ、日本出版販売(日販)やトーハン(旧:東京出版販売)等、「取次」と呼ばれる流通業者を介して販売されるので「取次系エロ本」と言った。現在コンビニエンスストアなどで売られているアダルト雑誌も基本はこの系列だ。
それとは別に今はほとんど姿を消してしまったが、「自販機本」と呼ばれるものがあった。これは文字通り街角に置かれた自動販売機で売られたもので、店員に差し出すことなくエッチな本が買えるということで、七〇年代に大ヒットした。この中には山口百恵宅のゴミ箱を漁り妹のテスト用紙まで点数付きで写真に撮ったエルシー企画の『JAM(ジャム)』や、一世を風靡したエロ劇画雑誌『劇画アリス』(アリス出版)なども含まれる。
『JAM』は当時日大芸術学部の学生だった佐内順一郎という人物が作った自販機本で、佐内は続いて『HEAVEN(ヘヴン)』(群雄社)というサブカルチャー誌を発行、後に高杉弾と名前を変えカルト的なライターになる。『劇画アリス』の編集長は現在、作家・コメンテーターになっている亀和田武。当時から美男子で有名だった亀和田は「三流エロ劇画界のジュリー」と呼ばれ、誌面ではセルフヌードを披露していた。
そしてもうひとつがビニール本だ。元々は「大人のオモチャ屋」などと言われていたアダルトショップの片隅に、そっそりと置かれていたチープなエロ写真集だった。それが七〇年代の半ば、ドラスティックにブレイクする。
現在も神田神保町靖国通り沿いに八階建ての自社ビルを所有、一階から四階までの店舗フロアすべてをアダルト系出版物とアダルトDVDなどで覆い尽くす、芳賀書店という本屋がある。元々は昭和十一年、東京巣鴨の地蔵通りにて古本屋として創業した。しかし戦災で店舗を焼失したため、神田に移転。終戦直後のカストリ雑誌・赤本ブームもあり、「ゾッキ本」と呼ばれる正規の流通に乗らない書籍・雑誌で成功を収め、昭和三六年からは出版業にも乗り出す。
当時、芳賀書店が出版した本で最も有名なのは寺山修司の評論集『書を捨てよ、町へ出よう』(一九六七年)である(寺山自身が監督した映画は「、」が入らない『書を捨てよ町へ出よう』一九七一年・ATG)。イラストレーションは横尾忠則が担当していた。
そしてアダルト系で言えば、なんと言っても一九七一年に出版された篠山紀信によるSM写真集『緊縛大全』だろう。これは団鬼六が監修、構成とイラストレーションを担当したのがイラストレーターでグラフィックデザイナーの宇野亜喜良。緊縛師はにっかつロマンポルノの団鬼六原作作品の緊縛を数多く担当した浦戸宏と、言わばオールスタースタッフによる制作。さらに編集は現在はSM写真家の第一人者となっている杉浦則夫である。
これらはすべて、当時芳賀書店の二代目社長・芳賀英明という人物の企画である。英明は全共闘世代の元活動家であり、同時に大胆な書店経営者でもあった。『緊縛大全』の少し前、七〇年頃からは官能小説系書籍やヌード写真集なども積極的に扱い、それが人気を博した。そこで英明はワンフロアすべてをアダルト誌の売り場にしてしまう。ところが売り上げはさらに倍増したものの、店は立ち読みに悩まされることになる。特に写真集は高額なので、汚れや折り目が付いたものは売れにくくなる。
そこでアイデアマンでもあった芳賀英明は、写真集を透明なビニールで被い、表紙・裏表紙以外、中身は見られなくしてしまうことを考えた。これが、形態としての「ビニール本」が誕生した瞬間だった。そうなるとヌード写真集を製作する出版社のほうも、表紙しか見られないぶんだけ、中の露出を過激にしていく。こうして媒体としての「ビニール本」が形作られていったわけだ。
この「露出を過激にしていった」先達が松尾書房という版元の『下着と少女』というシリーズで、松尾書房の営業マンだったのが後に暗夜書房を設立する森本新次郎。そしてカメラマンとして関わっていたのが九鬼の中川徳章である。もうひとつ付け加えておくと、『ビリー』編集長のサワナカこと沢中慎二は、篠山紀信『緊縛大全』の編集者・杉浦則夫が写真家として独立した際のアシスタント第一号だった。
こうして見ていくと、寺山修司、横尾忠則、宇野亜喜良、団鬼六から引き継がれた六〇年代のサブカルチャーが、「自販機本」と「ビニール本」を経て、「取次系エロ本」へと発展していったことがわかる。もちろん、そういう流れを僕が明確に知るのはもっと先のことになるのだが──。
自販機本出版社「エルシー企画」は、学生時代全共闘(ブント系マル戦派)の活動家だった明石賢生という人物が、佐山哲郎という男と共に立ち上げた。明石は代表取締役として経営に力を入れ、佐山は編集局長として多くの自販機本を手がけ自ら健筆もふるい、同時に数々の後輩編集者、デザイナー、カメラマンを育てた。
明石は後に取次系の出版社群雄社を立ち上げ、先に書いた高杉弾や、後に「ガセネタ」「タコ」というバンドを結成する、ミュージシャンでもあった山崎春美が編集した『HEAVEN』を発行、八〇年代には「VIPエンタープライズ」というAVメーカーを作った。佐山は麻耶十郎名義で官能小説も執筆、また二〇一一年に宮崎駿の企画・脚本でスタジオジブリによってアニメ映画化された『コクリコ坂から』は、彼が八〇年代に手がけた劇画が元になっている(作画・高橋千鶴)。
「自販機本」や「ビニール本」に、彼らは何を求めていたのか──?
それは「エルシー企画」編集局長時代に佐山哲郎が同社発行の各雑誌に載せた、「もう書店では文化は買えない」というキャッチコピーに的確に現れている。つまり新しい出版の形を作りたかったのだ。取次や一般書店では決して買うことの出来ない、過激で先端的で、何よりも自由なメディアである。
「クロサワが何を考えてるのかは正直よくわからないけどさ」と飛鳥は僕に言った。
「もしもお前が少年倶楽部に来ることになったら、まあ俺が色々と教えてやるよ」
少年倶楽部からの帰り道のことだ。
「四ツ谷もそうだったんだ。アイツはパンクバンドをやってて、人手が足りなくてバイトを雇うことになったとき、出入りしてたライターの紹介で来た。編集もデザインも知らなかったけど、教えてみると筋がよかったな」
四ツ谷は一八〇センチを超える長身で長髪。いつもブラックのスリムなジーンズにやはり黒い無地のTシャツ姿、冬もその上にライダースの革ジャン羽織るだけと、ニューヨークのパンク・ロックバンド「ラモーンズ」のジョーイ・ラモーンのようだった。
やがて南新宿の駅が近づき、飛鳥は定期券を出そうとポケットを探りながら、
「ユーリ、ひとつ、いいこと教えといてやるよ」と言った。
「JACKには山ほど雑誌があるだろう?」
そう、マンションの玄関を入ったところ、トレススコープの脇には壁一面、天井まで届くスチール製の本棚が二つあり、上から下までぎっしり雑誌で埋め尽くされていた。JACK出版が編集し、その版元から送られて来たものもあれば、資料として買い揃えたものもあった。サワナカが重要な人物として登場する村上龍のエッセイ「コックサッカーブルース」、それが連載されている小学館の写真雑誌『写楽』もすべてバックナンバーが揃えられていたので、僕は自分が買い逃していた号も含め、すべてを読み直すことができた。
「あれを参考にして、いいなと思ったデザインがあれば、片っ端からパクってみろ」
「パクるんですか?」僕は聞いた。真似するというのは多かれ少なかれ盗作するということだ。そんなことしていいのかな、という思いもあった。それを察したのだろう、
「いいんだよ」と飛鳥は笑った。「そりゃあ俺や四ツ谷が『ビリー』や『ビート』の表紙で、どこかのメジャー誌の丸パクリをやったらそりゃマズイし、だいいち恥ずかしいよな。でも、『ボッキー』辺りの記事ページでやるぶんにはいいさ、そういうところもエロ本の強みじゃないか」
著作権やコンプライアンスが緩い時代だった。雑誌からアイドル歌手の顔などを複写して流用しても誰も文句は言って来なかった。そういう意味でも、アダルト誌は自由だったのだ。
そして飛鳥は「だってそもそもお前、自分がどういうデザインがやりたいかなんて、明確な意思なんてないだろう」と言った。「いや、自分がどういうデザインが好きかもハッキリわからないんじゃないか」
確かにその通りだった。
「最初は誰だってそうだよ。俺だってわからなかった」
「飛鳥さんもわからなかったんですか」
少し驚いて僕はそう尋ねた。
「そりゃそうだよ。ド素人のときから俺はこういうデザインがしたいんだとか、俺が表現したいものはコレだ! なんてわかってるヤツがいたとしたら、ソイツはとんでもない大天才が誇大妄想狂かどっちかだ。でもさ、それってデザインだけに限らないと思うぜ。小説家だって漫画家だって、最初は何となく漠然と『漫画家になれたらいいなあ』とか、『小説家ってカッコイイよなあ』とか、そういう漠然としたところから始まるんじゃないのかな。そうだ、バンドやるヤツなんてまさにそうじゃないの」
ああ、そうか、バンドか──と思った。何となくわかる気がした。
「最初は女の子にモテたいからギター弾けるようになりたいとか、そういうつまんない動機だろ?」
と飛鳥は続けた。
「海外のロックバンドのレコード聴いてさ、これっていいなあと思って、コピーしたりするわけじゃないか。そうやって真似してるうちに、自分がやりたいことが見えてくる、俺はそう思うぜ」
飛鳥はそう言ってから「じゃあ、またな」と改札口へ向かい、もう一度こちらを振り返った。
「だからさ、ユーリ。お前がいいなと思ったものは、パクッてバクってパクリ倒せ。でもな、そうやってパクり続けて真似をし尽くしていくと、やがてどうしても真似できない、パクリ切れないところが必ず出てくる。どうしてだと思う?」
「どうしてですか?」
飛鳥は答えた。
「それが、お前のオリジナリティだからだよ」
そう言って飛鳥修平は軽く右手を挙げ、小田急線南新宿駅のホームへ向かう階段を昇っていった。
JACK出版の玄関を上がり中に入ると、降武が慌ただしく出かける支度をしているところだった。長年使い込んだとおぼしき皮のショルダーバッグに手帳や読みかけの本などを入れ、ジャケットに片袖通したところで僕が入って来たのに気づいた。そして、
「おお、ユーリ、飲みにいくか?」
と珍しく髭だらけの口元を緩めて嬉しそうに笑った。
「『ビリー』の入稿、全部終わったぜ」
なるほどそういうことか。
雑誌の原稿は、デザインが上がってくると文字原稿とレイアウト用紙は写植屋へ入れる。そこで文字が写植で打たれ、版下に貼り付けられ、罫線などが引かれてから文字校正の作業が始まるのだが、版下が上がってくるまでは最低でも中一日はかかる。その間、僕ら編集者はつかの間の休息を取れるのだ。
「『ボッキー』の方、どうだ?」
降武は聞いた。
「今、少年倶楽部から恭坂さんのモノクロ記事ページを引き上げてきました。コッチもこれが最後です」
「よおし、それ入稿しとけ。俺はこれから新宿で一件打合せがあるから」
と降武は腕時計を見た。
「『五十鈴』に九時でどうだ」
『五十鈴』は新宿駅南口のおでん屋だ。そこでビールや日本酒を飲みおでんで腹を満たし、そこから深夜までやっている二丁目のバーに流れるのが彼の好むいつものコースだった。
降武がいつものようにブーツをガチャガチャ鳴らして出て行ってしまうと、室内はしんと静まりかえった。大橋も中神E児も、もうずいぶん前に帰ったようだった。
入稿の作業を始めた。写植屋に入れる原稿とは別に、レイアウト用紙を一部コピーして、写真やイラストなどと一緒に印刷所に入れる。コピーと写真をA4判の封筒に入れ、ページを明記して、玄関に設えた棚に入れておく。すると大日本印刷や凸版印刷のような大手は「メッセンジャー」と呼ばれる専門の係の人が車で巡回しビックアップしてくれる。小さな印刷屋の場合は担当の営業さんが取りにきてくれるか、こちらが持ち込むかだ。
コチコチコチと掛け時計の秒針だけが鳴っていた。コピー機に向かっていると、背後から、
「優梨、ちょっと」と呼ばれた。
社長室からクロサワが顔を覗かせていた。驚いた。誰もいないものとばかり思っていた。
コピーを中断して入る。「まあ、座れ」と言われた。
クロサワの言動と行動はいつも同じだ。「ちょっと」と呼び、「座れ」と椅子を指さす。そして、少しも表情に変化を見せない。
「お前、降武とちょくちょく飲みに行くのか」クロサワは僕を下から覗くような視線で見た。
「ええ、まあ」
「ほどほどにしとけよ」
さっきの会話を聞いていたのだ。どういうわけか、あまりいい感じはしなかった。
「『ボッキー』の方、もうすぐ終わるようだな。今月号が出来たら、前に行ったように少年倶楽部に行かせるから」
「──あの」僕は気になっていたことを思い切って口に出してみた。
「僕は、もう『ビリー』に関われないんでしょうか」
クロサワはデスクの上で両手を組み、僕を正面から見据えて静かに言った。
「いいか、優梨。これからはデザインの時代だ。お前はそこをちゃんと理解しろ。編集なんか、降武にやらせておけばいいんだ」
デザインの時代──それは先ほど飛鳥修平が語ってくれた話からも、その意味はよくわかった。けれどそのぶん「編集なんか」「降武にやらせておけばいい」という言葉が引っかかった。クロサワという男に対する不信感が初めて芽ばえた。この気持ちは、この先ずっと引きずることになる。