
祖母のお通夜に並んだ人たち
私はたぶん、母方の祖母のお通夜の光景を一生忘れないのだろうと思います。
祖母は私が二十代の時に亡くなっています。
母は、私がお腹にいるとき、高熱を出しました。
けれど、薬は使えません。
その時、練馬からおばあちゃんがすぐに駆けつけたそうです。
そして、夜同士、母の身体をマッサージして、熱を下げてくれたのです。
私が今ここに居られるのは、おばあちゃんのお陰なのだと思っています。
祖母は、とても愛情深く、強く、優しい人でした。
昔、母から聞いたことがあります。
おばあちゃんは裕福な家庭に嫁ぎましたが、
自分の身なりなどには、お金をかける事なく、地味で慎ましくする人でした。
その為、病院を受診していた祖母を見て、清掃などの仕事をする人と思った方に話しかけられた事があったようだと母から聞きました。
そんな祖母の死は、私が生まれて初めて経験する大切で大好きな人の死でした。
祖母が亡くなったと連絡があり、父の車に母と乗り、練馬の母の実家へ急いだ日の事を忘れません。
車の中で、母と私はずっと泣いていました。
実家に着き、玄関を入った母は、ショックのあまり倒れ
ました。その体を私が抱き抱えました。
和室の部屋に入り、寝かされ、白い布が顔に掛けられた祖母の頰を撫でた時のあの冷たさを、あの指先から伝わってきたひんやりとした冷たさを私は何十年経っても忘れたことはありません。
そして、お通夜の日の光景も、私は、きっと一生忘れることはないのだろうと思います。
おばあちゃんの為に、お通夜に足を運んで下さった方は、100人は軽く超えていたと思います。
ずっと終わらなかったあの行列を私は忘れられません。
母の実家は、マンション・アパート、駐車場を経営していました。
のちに母から聞いたことですが、おばあちゃんは、お金で困っている人たちにお金を貸してあげてきたのよ。という事を聞きました。
それで、私は分かったんです。
お通夜に沢山の人が足を運んで下さった理由が。
おばあちゃんは人や人の生活を大事にしていたんだと思います。
だから、多くの方が、祖母の死を悲しみ駆けつけて下さったんだと思いました。
喪服の方もいらっしゃいましたが、多くはご近所からいらっしゃった普段着の方が多かったように思います。
皆さんが心を込めて、お焼香をして下さっていた姿を泣いて下さっていた姿を私はずっと見ていました。
終わらないその行列をずっと見ていました。
今、改めて思うことは、おばあちゃんは、本当に素敵な人だったんだという事です。
人を大事にする事が出来たおばあちゃんの孫で本当に良かったと思っています。
祖母からもらったものは沢山沢山ありますが、
身を持って教えてもらった大切な事を私はずっと忘れないでいようと思います。