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初めての転職は弾丸ツアーのよう。僕が新聞記者を辞め、スポーツクラブの職員になった理由。
はじめまして。「いそいそ」と申します。
新聞記者を辞め、現在、北海道のスポーツクラブで働いております。
平日毎朝投稿の4日目、noteってこんなにたくさんの人が読んでくれるの!?と驚いております。
本当にありがとうございます。
今回は、私が新聞記者を辞めて、スポーツクラブの職員に転職したのかを書いていこうと思います。
まだまだ自分語りには困らなそうです。
私の転職活動は、そりゃもう猪突猛進、弾丸ツアーです。
有休消化もしませんでしたからね笑(いや、笑えない・・・)
周りからは「年齢の割に落ち着いている」とか「サッカーやってなきゃ陰キャ」と言われ、それを自認しているつもりでした。
振り返ると、もう少し先の将来を見据えて考えても良かったのかなと、全く後悔はない頭で思うこともあります。
でも、私にとって大事なのは「10年後の自分」より「明日の自分」です。明日の自分が積み重なって10年後の自分があると思うのです。
そんな、決断のお話をしていきましょ〜
新聞記者になったのも辞めたのも同じ理由
小学校〜大学までサッカーだけに打ち込んできた私。
スポーツ科のある大学に進学し、文字通り1日中スポーツのことを考えて生活していました。
大学3年、インターンシップに行かなくてはいけない中、どんな道に進みたいかを考えていました。
「もうプロになることはできない。でもサッカーに関わりたい」
そんな時に、目に止まったのがサッカー雑誌。
「これならサッカーの上手い下手は関係ない」
寄稿するサッカーライターの多くはマスコミ経験を持っていたため、その業界を志望するようになりました。
そんなこんなで、新聞記者となってスポーツを担当し、ゆくゆくはサッカーライターに、、、なんて妄想をもって、新聞社に記者職で入社することができました。
最初の配属先は、警察担当。その後は行政担当を経て、地方に転勤。いわゆる町村担当となりました。
プロスポーツ担当は花形部署で倍率も厳しい上、地方で高校野球などスポーツを担当していなくては異動希望も通らないと聞いていました。地方のスポーツ担当の多くは新人が配属されている中、振出が社会部だった私は「タイミングが合わなかった」とうことです。
「この先、10年間、スポーツ担当になれるのかな」漠然とした不安が頭をよぎりました。
転がってきたチャンスに飛びついた
そんな折、国の方では部活動の地域移行を推進する方針が打ち出されました。
それを受け、多くの自治体で地域おこし協力隊制度や部活動指導員を使った体制強化の動きがあらわれ始めました。
「これだ!」
スポーツはどうしてもボランティアの要素が強い。プロスポーツクラブですら、激務に反してお給料が低かったりする。
「行政からの雇われである協力隊なら、生活するお金をもらいながら働ける」
10年後までにスポーツ担当になっているかはわからないなら、今転がってきたチャンスに飛びつくしかない。
すぐにリサーチを始め、ご縁もあり、今に至るのです。
弾丸転職
そうして、協力隊として採用をいただいたものの、世間は「統一地方選」
私の着任日の直前に担当の町で選挙がありました。
「土日で辞めて、引っ越します。有給は取りません」
はい。4月だったので40日ほどあった有給は1日も使わず退職しました。
これが唯一の後悔かもしれません。
新聞記者も良かったのかもしれません。もしかしたらスポーツ担当になれたかもしれない。でも、一度きりの人生なんで。
やるべき時にそれにふさわしいチャンスが巡ってくるんだなと今では思います。
おかげさまで、前職から収入は半減。独身でまだ20代というのもそのリスクを許容できた要因かもしれません。
ここまで読んでくださった方に1つだけ。
人生はあなたのものです。自分の選択を一番大事にしてください。「出会うべい時に出会うべき人と会う」という風に、運命とも呼べる巡り合わせが必ずあります。
でも、有給は使いましょうね!!!