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16自然農法実践者が近隣に居る

上記画像は、牛糞完熟堆肥を機械散布している画像である。
私の農業は、この作業が終了して自身でトラクターを走らせて、すき込まないと、落ち着いて栽培を開始する事は無い。均平にした圃場に苦土石灰、又は、転炉さいをせっせとこれでもかと無駄分を覚悟して袋を振り回して散布してトラクターですき込み、10日後位から、牛糞完熟堆肥を不必要量を大量に散布しトラクターですき込み、コーヒー豆粕(缶コーヒーの原料粕)+鶏糞を完熟させた肥料を大量に散布して、トラクターですき込みと同時に畝を立てている。即ち、栽培開始まで最短で10日間、トラクター作業は4回(総時間=約5時間/10a)。この作業は毎年3月末~4月上旬の恒例で、このように栽培開始前の圃場耕土を作るが、けっして、有機栽培を表明したくないし、私の営農する農法に関しては、慣行農法では無い、無駄すぎる大量の有機質堆肥と肥料の散布という特徴であろう。繊細さは微塵も無い、全ての工程に於いて、荒削りでバカゲタ無意味な有機物を散布する農法とでも言える。
さて、話題を変えて、日本国憲法では、心情・思想・信教の自由が保障されているのは周知だと思う。この頁では、たいそう消費者の受けの良い【自然農法】という農業を実践する方々に問うてみたい事を中心に、彼等とは、反意の文章を展開する事になる。予めご了承を頂きたい。私がその農法を実践する方々の理想的農業が正当で優秀である理由のお話を聞いた事もないし、又、聞く事も、暇な時間も討論するつもりも無い。
そもそも有り得ない農業形態であるからである。

畝立ては美しく幅均等にまっすぐ行う。慣れれば簡単。
近代的な電脳制御機構の無いトラクターでも五感を働かせて集中すれば完璧完成が可能だ。
8月中旬からは、冬収穫の漬物原料野菜の播種・苗の定植が加わり、超忙しい時期である。
上述した方法で圃場を栽培前整備を行い一気に播種・定植をする。
発芽までの潅水作業は種が流れないように丁寧にする事が肝心。
私はシャワーは使わない。自作の軍手パイプからドボドボがベスト。

《そもそも有り得ない》
農業を行うという事は、そもそも、自然任せでは成り立たない。
なぜなら、種を播くという行為が自然でないし、種を播く場所を人が決める。全て人為だ。
昔、【わら一本の革命】という書籍だったか?自然農法を語り、その素晴らしさを哲学的・精神的・作者の思考内にある自然科学を論じて、成果が出た事を書いた書籍の文章に触れた事が有る。成果が出るまでに10年程かかっていた。そして、ずっと同じ作物(小麦だったか?)を作り続けている。
その内容に付いて、「こんな農業もある。」と、某運送会社の社長から頂いた書籍だと記憶もある。
しかし、その土地の生育に関するすべての条件が10年間に偶然に揃ったと言わざるを得ない。即ち、その土地の条件と作物が10年目に合致したから収穫まで至ったと言える。
私の周りでも、そのような農法で農業をする素人の休日農業者が居る。
私にとっては、「迷惑なんです。」草刈りをしないので、雑草種子が風向きによっては大量に我が方向に降り注ぐ。背高い雑草の密集や放置の雑草はは、害虫の生活の場となり、害獣が隠れる場所をも提供している等。まともに農作をしているでも無く、同じ思考人民が休日にやって来ては話し込んでいる。当然、乗ってきた車が邪魔になるし、周りの農業者の作業に気を使う事もない。農業は、自然の中で放任では成り立たない。先にも述べたが、種を蒔こうと決意し動作を開始した時点で、人為動作が加わるので自然とは言えない。

《宗教者の如く》
その迷惑な農業者とその参加者が、地域の圃場景観維持作業の共同作業に参加して、アワダチ草の駆逐作業した時の事、私は地域の慣行農業より自分たちが提唱する自然農法優位の思考を持つ参加者から、延々とアレロパシー効果に付いて講義を受けた。私は既に知り得ている知識で、実際に、からし菜を使った土壌消毒や、マリーゴールドを利用したネコブセンチュウ発生抑制を期待して行った経験が有るので、フムフムと相槌を打っていたが、段々に、その話し口調の力が湧いてきて、自身の自然農法に関する演説に自己陶酔するが如くになってきて、恐怖を感じた。聞いたらダメ種の性格の方であった。
実際、知っている知識ばかりで、裏付けのない推測を真実として、誇張された農法がもたらした成功話と自然世界の生命体全部に付いてのグダグダ話を聞くのは、激しく疲れた。

花が咲かないマリーゴールド開発品種。根から発散するアレロパシー効果で、
ネコブセンチュウ・ネグサレセンチュウの発生を抑制して、オオタバコ蛾を寄せない。
このような、コンパニオンプランツの利用法を知って
緑肥の有効性を聞いてしまうと、全てを試してみたくなる。

《信者》
意味不明の農法実践者の奴等には恐怖を感じる時が有る。
昔、ナチス時代ドイツでは、有機栽培を推奨している時期が有ったが、人口増加した世界最優等アーリア人の食糧問題を解決する増産手段にはならず、その有機栽培に付加する力として、呪術的要素を加味した農業を実行しようとした。所謂、【ダイナミック農法】である。
植物の生育には、天体の力が作用しているという神秘力の予測から、地球上の力ある物質と指定された有機物や鉱物を独特の方法で儀式に使用して天体の力を耕作地に呼び込み増産しようとする農法である。結局は、何ら効果が得られず、計画は中止されるのであるが、その宗教的儀式や神秘的事象に感化されたナチス高官は、密かに収容所で収容者を使役して研究を続けていたようだ。現在でも、ダイナミック農法に関しては実践する方々が居て、研究が進められているようで、その団体も存在する様である。
農業は宗教ではなく信者は存在しないのだが、神秘的で壮大な夢の農法に賛同する実践者やその周りでは、農産物が実ろうが実らないでも、実践している事だけが人を惹き付けるようで、◎◎✖✖~~農法という、謂わば、新農業系宗教が存在して、その信者が存在するのである。
そういえば、【炭素循環農法】という土壌改良効果を謳う理論を、実践している方がいたが、この理論は科学的に合致して、土中微生物利用をして圃場の土壌を永続的に改良する理論であったが、自然環境保全と繋がり論じ始めたので、信者を集める農業系宗教の体となり、彼も信者の様相となった。
結局、実践者も長年、土壌改良に取り組んでいたが、経済的成果が上がらず断念して、最近、離農したようだ。

《そんなの、知ったこっちゃない。勝手にすれば》
農業は教える者と教わる者の上下の存在が有ってはいけないと、常々、私は思っている。知る者と知りたい者は対等で、立場が常に入れ替わる仲間でなければいけない。知識や知恵が人間関係の和の中で自由自在に飛び回り、簡単に入手できる関係である事が大切だ。
京都府立農業大学で、農業系資格取得講座を1週間程受けた事が有り、その講義で実際に農業に携わった事も無いのに、クソ偉そうに、その講義に参加している真面目に慣行農業で生計を立てる農業者の前で、農薬の危険性を発言し、自然農法や有機栽培を中心にした農業者を目指し新規就農を準備中として、資格取得の為に参加している有名企業を定年退職したオッサンが参加していた。最初は黙認していたがあまりにも慣行農業に対する批判がひどいのでついには私は爆発した。同席していた他の農業者が「よく爆発してくれました。」と言い寄ってくるので、「誰の為でもない、私が心地よく講義を聴きたいから爆発したのだ!」と返答した。(そのオヤジは、他の聴講する全員が合格の中で、一人だけ資格認定試験に不合格だった。結果に試験官に文句をグズグズ詰め寄っていたが、最後まで、無様でかっこ悪いオッサンだった。)

カレーライスはフラットな仲間意識を育てる。好きなだけ食べて良いと言えば、
本当に好きなだけ食べる奴等だ。彼等は我が農園の販売方法構築を学びに来ていた。

私は、「本心、私自身に関わる事以外の他人の事など、知ったこっちゃない。」を主に置いて生きている。その時々の気分で、行動を決める事も多い。友人となろうとするなら、ムチャ難しい奴なはずだ。

農業系集団生活が存在するが、自然農法ではない。
農業と自然との共存は難しい問題が多いが、その自然の循環の中に入る込む農業は可能であろうかとは思える。しかし、全くの自然状態での農業運営は不可能であると結論する。
私は農業系宗教に対して結論を持つ。
奴等は、出版と会合会費で収入を得ているだけで、農産物生産で収入を得ていない。したがい、農業実践者では無い。これが、結論だ。

では、今回はこれまで。


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