![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/90997268/rectangle_large_type_2_c3461f54c767d5e9f4008ba9b54e6d84.jpeg?width=1200)
17農薬を安全に使用する要件
《有機栽培は無農薬では無い》
有機栽培は、環境循環型の農業を実践し、自然環境に順応した農業をする事が第一義にある。そして、有機農業を実践する有機栽培圃場認定への認定基準と規格は、日本では、欧米に比べてあやふやな認定基準でもあると、私は認識している。上記画像は、2015年時で私が使用していたアブラ菜科野菜に積極的に使用した、有機栽培圃場と登録作物に使用できる殺虫剤とその効果を持続させる展着剤である。化学物質を組成とした薬剤は使用できないが、自然物由来の薬剤は使用できるので、認識不足農業者や消費者が誤認する【有機栽培=無農薬の認識】は間違いである。
《無農薬栽培は安全か?》
【無農薬野菜】の表記・文言が巷に溢れている。が、安心して良いのであろうか?無農薬を全面に持ち出した野菜頒布販売を利用している友人に、その野菜を見せてもらった事が有る。その時の画像が有るが、この頁で記載するのは勇気がいる。商品の届けれらたハッポー容器内の野菜を見たが、私には、雑草にしか見えないのだ。人参によく似た草とにんじん色の根・じゃがいもの様な塊・何か分からないがたぶん水菜かなぁ~?な軸だけの草・・等。
これに友人は支払いをしている。私はこの野菜には、食べても栄養価が存在するのであろうか?を疑問に思った。美味しいはずの可食部が無いのである。農薬を嫌う友人がずいぶんと高価な支払いをして、可食部の無い野菜を食している。コレって安全な野菜であろうか?
その友人とは、長く会っていないが生きているであろうか?
餓死していなければ良いが。
たぶん、食の安全や環境保全思考に取り憑かれてしまい、洗脳を受けた結果だと思う。
![](https://assets.st-note.com/img/1668388422839-X8g4pPWO2f.jpg?width=1200)
この品種は、機能性アントシアニン成分を高めた野菜である。
あまり色鮮やかに作れなかった。
とある種苗会社が、野菜の機能性成分を高めた食べておいしい品種を開発し、その種子を発売して現在でも好評を得ているようだ。ご存じだろうか?子供がピーマンが食べられないので、成分そのままに苦くないピーマン品種に改良した←商品名=子供ピーマン。一時期、量販店頭でよく見たと思う。リコピン・シスリコピン・カロテン・ケルセチン・ルテイン・水溶性ペクチン・アントシアニン等を各々高機能に含んだ、トマト・白菜・ニンジン・玉ねぎ・ほうれん草・オクラ等・・・・。それぞれの野菜品種を開発して、その種子を発売している。一般的に慣行農法で栽培された野菜でも、その含有量は僅かで、日常的に必要量を摂取するとなると、相当量を取らなければならない。
しかし、前述の友人が食す無農薬野菜は可食部が無いのである。
私はボロボロの【無農薬栽培野菜を是とし安全とする】意味が理解不能で、ある。
![](https://assets.st-note.com/img/1668275732451-s6JCzQp994.jpg?width=1200)
先に述べた機能性野菜の発表会も兼ねていた。
野菜は見た目。見た目は味を作り、味は健康を作る。
お分りになるであろうか?
《農薬の安全担保=適切な時期+適切な薬剤+使用法遵守+影響を考慮》
農薬を使用する農業者が、毒性の認識と適切な農薬の選択と利用方法遵守と散布場所周辺への考慮が安全性を担保する事の全てである。
農薬メーカーは、人体に安全で、優秀な効果が実現できる薬剤の開発をしていると推察できる。そのようにして生産された農薬も、適切に選び、適切な時期に、使用法を順守しなければ【毒】。又、散布場所の周辺を考慮しなければならない(使用場所周辺の住民生活圏への飛散を防ぐ)。
次に、実際の恐ろしい話をする。近隣の畑の農業者の話だ。私と同様のカブラ生産していた時の事。私は独自ルート、彼は農協へ出荷して京野菜ブランド品として出荷していた。彼の畑では、地域特有のやっかいな害虫が発生した。私の畑にも発生していて駆逐は済ましていたが、その彼が使う殺虫農薬が効かないという。で、薬剤名を聞いた。よく知られた殺虫剤であったが効かないという。
で、使用方法を聞いた。その後、私は彼に「使い方が違うのかなぁ~?」
としか、返答しなかった。希釈濃度2000倍の計算ができないのだ彼は。
そして、効かないから、希釈濃度を無視して高濃度を複数回散布して、使用回数限度も守れていない。
そもそも、発生している害虫が薬剤効果を発揮する害虫と違うのだから、効かなくて当然。で、そのカブラは平然と京都卸売市場へ出荷完了。京都市卸売市場は市場内で消費者の為に検査機関を持つが、機能しているようには思えない。農産物は消費世界に流れると、ストップはかからない。一つ一つに名前が書いていない(笑)。
だから、広範囲に地域的に出荷停止と回収が行われる。
不幸であるが食してしまい、既に体内の中に有るものもあるはずだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1668271424579-40GSDWotdO.jpg?width=1200)
使用方法(作物別の希釈濃度・散布方法)等、細かく指定されている。
画像の農薬はBT剤の裏面で、けっこうな文面を読んで解釈して使用しなければならない。
今の農薬使用者の農薬に関する知識と安全意識の現状は、この恐ろしい話のレベルである事を思えば、危険で仕方がない。
無知だったから、不知だったからで許され、済まされる問題ではない。
法律に違反している事象が多くある。というか、ほとんどの農業者がそうであると言っても良い。
私は、殺虫や殺菌農薬の使用や取り扱いに関しては、しっかりとした知識を持って、法律順守できる者だけに許される、要試験の免許制であっても良いぐらいに思っている。
《減農薬という表現》
無知な消費者向けに、あやふやな表現を考えたものだ。所詮、農業者の自己満足な表記である事を認識しなければならない。何の基準を元に【減】という表記が生まれるのか?農薬は使用している事には間違いがない事だ。【減】という表記が、あいまいで解釈が千差で混乱を起こしてしまう表現だ。事実、商品表示法に違反している文言で、表示が出来ない文言でもあるが、【自己理想追求型新規就農者】が農業起業初期好んで使う。
傑作な文言は、私の圃場近所で、【ノン・ベクレル農産】と看板をあげた新規就農者もいた(笑)。又、表記可能な農産物の栽培法の表記方法で認定基準が存在し、その基準に合致した【特定栽培農産物】という農産物がある。
何が特定なのか?どのような組織が認定するのか?等から、信憑性が信頼できるのか?又、消費者に伝わるのであろうか?その文言の表示に至るガイドラインをググッてみれば良いが、なお一層、突っ込みどころ満載で不信感沸々であろうかと思う。
![](https://assets.st-note.com/img/1668280810408-tAEjKMFwOh.jpg?width=1200)
農薬を使用する農業者は、いつでも読めるように購入をお勧めしたい。
特に、農薬の安全・適用使用の項の付いては記憶するぐらい読み込むべきだ。
それでも、国や行政の基準が?の時がある。
《地球上での安全性の訴求》
農薬や化成肥料を使用した農産物に対して、強い危険感情を持つ方々も居ようが、その方々に問うてみたい。「あなた方の実生活の中で、利便に長けるモノの安全性は意識しているのか?」をだ。多くの世の中の害毒にさらされている中で、ただ、農薬や化成肥料が悪者になる風潮を何とかしたいと私は常に思う。各メーカーは、もっと胸を張って、世間認識を崩す抗弁して欲しいのだ。
人間は毒を知らずに好んで摂取している。わさび・からしの成分は毒性分である。しかし、毒物の認識が無意識の人間は美味しく利用して摂取をしている。茗荷もそうなのであろうか?他の食品でもそうで、ハム等の食肉加工品などは訳分からないほど添加物が添加されているし、卵に関しても餌や水や生育環境を考えると自身で飼ってみなければ安心はできない。
自動車関係を俯瞰してもハイブリッド車は高電圧の電磁波中の乗車位置だし、排気ガスは浄化される技術は優秀に発達したが、車内に引き込めば自殺の道具になる。鉄道等は、敷石やレール敷床が茶色に染まる、あのブレーキダストと磨耗レール鉄の飛散はどうだろうか?駅のホームで吸っているのだ。発泡スチロール製の商品トレーに並ぶ生魚。生魚の油脂で溶けないであろうか?等考え出したら心配で、生活はできなくなる。
ついに、認識を覆す、農薬使用の安全性を是認論調を記述しました。
反論よ来るなら来い!の気持である。
私は、あの悪名高き【ラウンドアップ(除草剤)】の毒性の評価も如何なものかと思っている。悪魔の組織のモンサントが、開発者に正当な報酬が払われなかったのが、その悪名伝播の根源になっている可能性が有る。
虎の穴を裏切ったタイガーマスクのようでもあり、出自は悪のエージェント・ショッカーでありながら、正義に転向した仮面ライダー等の様な裏切り行為なのだ。
所詮、推測や信じてしまっている情報だけで、【毒=悪】と固定された思考になっているのであろう。だとしたら、ワクチン打てないし医師の処方薬も服用はできない。
この分野は、疲れてしまうが、記述したい分野である。
再び、もっと専門的に記述ができたら良いかもしれないが・・・。
整理して記述すれば長くなる。
では、また次回。