ディストピア3-6
狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり。嶋立や原島、神本と共に青春を送り、彼らを模倣して遊ぶうちに、私自身も彼らのような狂人へと変化していった。それは非常に無意識的なもので、私が、自らのパーソナリティを狂人のそれであると明確に自覚したのは、中学三年生のある日の出来事がきっかけであった。
福岡の片田舎に住んでいる中学生が遊ぶところといえば、駅の近くにあるデパートかショッピングモールだと相場は決まっている。私は、立秋の暖かさが残る十月の日曜日に、富岡や原島らと駅の近くにあるリバーサイドという複合型商業施設で遊ぶ約束をした。ゲームセンターでクレーンゲームをしたり、カラオケで流行りの曲を歌ったりして時間を過ごした。
「これからどうする?もう帰ってもいいし、今からちょっとだけこのへんで遊んでもいいね」
夜九時。やることがなくなった我々は残りの時間の過ごし方に頭を悩ませた。
「鬼ごっこでもする?」
原島がそう提案したが、乗り気になっている人はあまりいなかった。暗がりのなかで坊主頭の男たちが、腕を組みながら井戸端会議を行っていた。周りにはぽつぽつと人がいるくらいで、静かだった。
このまま帰るのは嫌だな。
家に帰ってもすることがない私は、少しでも多くの時間を原島たちと共にしたかった。頭のなかで、彼らを引き留めるための遊びを考えたものの、何も思いつかない。
「とりあえずこのへんで適当に喋ろうや」
「まぁ、そうするか」
富岡の提案に乗り、我々は近くにあった芝生に腰を下ろした。明日までに提出する数学の課題のことや高校に上がると男女共学になることの話題を話していた。
「来年から男女共学になるけど、どんな感じになるんやろうね」
「さぁ?すくなくとも、池野とかが女子とめっちゃ絡みそうやな」
「あれ、あいつって今誰と付き合ってったっけ?」
「長田さんとはもう別れたって聞いたけどな」
中高一貫で男子校舎と女子校舎が隔離されていった我々にとって、来年から男女共学になることは、想像に難い事案で、恋愛関係が発生することくらいしか予想できない。
池野ねぇ…。
池野は目が大きくスポーツが得意な生徒で私は、彼と相性が悪かった。といっても、喧嘩をしたり会話をしないほどではないが、当時の私は彼について、ぼんやりとした苦手意識があった。
富岡や原島たちの話を空で聞きながら、私は周りを見渡した。枯れかかった木々や橋の上を通る車、リバーサイド、と順々に眺めていった。すると、金メッキを塗られたマーメイドの銅像が私の眼中に入ってきた。マーメイドは小さなライトに照らされており、その下は半径一メートルほど水たまりに囲まれている。溺れるほどの深さはなく、くるぶしがつかるくらいにまで水がある。どういうわけか急に、私の頭のなかで、池野とそのマーメイド銅像が一つの映像を作り上げた。
いまからいきなり靴を脱いで、水のなかに入ってそこからマーメイドの上で土下座をしたらどうなるんやろうなぁ…。
「でも池野って今は翁さんと付き合ってたはず」
「まじ?やっぱあいつ女たらしだなぁ」
「それもたしか長田さんと付き合ったままらしい」
「羨ましいな」
富岡たちは依然として、池野の話を続けている。話題が変わってしまわないうちに切り出した方が得だと私は思った。すこしだけ靴のかかとを踏んだ状態で立ち上がった。
「おれ、いまからあのマーメイドの上に乗って土下座してくるわ。だれか動画を撮ってくれ」
友人たちは、私の突飛な発言に記入していたマークシートがズレたことに気づいた受験生のような、驚いた顔をしていた。
「は?」
「あ?」
私は彼らのことを無視したまま、マーメイドの銅像がある方向へと歩いていった。
富岡たちは困惑した顔をしつつも、私の奇行をカメラに収めようと、ぞろぞろと後を追ってきた。私は靴下まで脱ぐと呼吸をするような極めて自然な様子で、躊躇なく水の中に入った。涼しい季節であったため、足元は寒かった。歩くことで、スボンに水滴がついた。水面に坊主頭が反射している。そして、そんな男を囲んでいる人たちのなかにも、頭を丸くした恰幅のいい男たちがいた。客観的にみるとカルト宗教の儀式のようである。
右足を大きく上げ、私はマーメイドの上に登った。両足を畳み、正座の姿勢を取った。マーメイドの周囲にある暖色のライトがスポットライトのようになっていて、私は黄金色に輝いていた。
「もう撮ってる?」
「うん、いつでもいいよ。」
富岡たちは私の方にむけてスマートフォンを向けている。周りに人はいない。やけに静かだ。私は息を大きく吸って、口を開けた。言葉を適当に考えながら、わけのわからない謝罪を始めた。
「ええ、今回の私が起こした坊主運動によって池野様を、非常に、えー、不快な思いをさせて、ほんとうに、もうしわけありませんでした!」
大声で訥々と叫んだ。富岡と原島たちは動画を撮りながら私の方を見て爆笑している。
「以後、私は調子にならずに、つつましく!学校生活を送っていくので、よろしくおねがいします!」
数十秒の間、私は全力で叫んで謝罪動画を撮ってもらった。全て言い終わると、銅像から降りた。バシャンという音と共に小さな水しぶきが起こった。冷えた足を動かして、水の中から出た。地面の上で足を乾かしていると富岡が撮っていた動画を見せてきた。大声の上げながら土下座をする私の姿が画面上に映っている。みんなで笑いながらその動画を観ていた。
気持ちがいい。
性的快感よりも大きな、雪崩のような多幸感に包まれる。ウケるということ、お笑いということへのこだわりが、この時から私を捉えて離さなくなった。それは原島たちの真似をしたことで発現した、燃え上がる私の狂気に薪をくべた。
「じゃあ、それ池野に送っておいて」
「もう送ったよ」
富岡はすでに池野に動画を送っていた。既読はついていなかったが、私は奇妙な期待と不安がぐちゃぐちゃになった心境で明日の池野の反応を待った。ひと段落したころ、時刻は21時45分を廻っていた。我々は「また遊ぼう」と誓って、それぞれの帰路を辿った。私は友人たちが笑っている記憶を回想しながら、夜道を歩いた。帰り道にある公園を歩いたとき、上を見た。高揚した私の心よりもはるかに高いところで月が輝いていた。その輝きは街灯よりも明るく、太陽よりも優しかった。