プラトニックな拳に打たれて
鳩尾に鈍痛が走る。痛みが消えないうちに、佐藤が僕の腹をもう一発殴った。僕は彼の腕に拳を打ち込み、太ももに膝蹴りをかました。たった数秒のうちに小学生の男児二人が教室でうずくまった。喧嘩である。誰しも小学生から中学生までに間に、殴り合いの日々を経験するはずだ。僕は今でこそ細身だが、肉弾戦における体格の差が、ハンディキャップにならないうちは、毎日のように佐藤と喧嘩していた。僕らが殴り合う理由は、理由とは言えないほどのしょうもないものだった。
「なにおまえ?」「え、おまえこそなんだよ」「こいよ、雑魚が」「おう、やってやるよ。しねよお前」といったように、どちらかが相手のことを罵倒することから始まる。佐藤とはずっと仲が悪かった。僕は毎日のように彼を恨んでいたし、彼がクラスメートの頭をデッキブラシで殴打して、流血させたときは、心が躍った。
これで佐藤の敵は僕だけじゃなくなった。これからはリンチにしてやろう
と思ったが結局、彼と佐藤は仲が悪くなることはなく、僕と佐藤のタイマンは続いた。
ここまでの話は単なる喧嘩自慢ではないし、格闘家が主催しているゴロツキたちの格闘技(笑)を真似した妄言でもない。僕にとっては当時の殴り合いが、実は非常にプラトニックなもので、ある種の正当な人付き合いにあたるなと感じたから、こうして恥も外聞も気にせずに小学生時代の喧嘩話(笑)をしたのである。
僕は小学校を卒業すると、地元から遠く離れた私立中学に入学した。そこは僕が通っていた小学校とは対極のような場所だった。貧乏な家柄の人もいなければ、喧嘩もほとんど起きない。マンガやドラマでみるような“エリート”の巣窟だった。煙草を吸う人も、シンナーを吸う人も、無免許で運転する人も、入学前に中学校の先生に殴られた人もいなかった。はっきり言ってそこで出会う人たちは、みな等しく優しかった。友人はもちろん、教師も暴力を振るわない。いや、喧嘩もたまにあったし、教師が生徒に体罰をして下さることもあった。でも、僕が通っていた小学校に比べるとその頻度は明らかに少なかった。喧嘩をしない。それは当時の僕にとっては幾分も平和的で、知的な関わり合いだった。
ところが中学校の友人たちは喧嘩をしない代わりに、陰口をたたくことや絶交をすることが多かった。つまり佐藤のように、自分の意見を真っ向から相手にぶつける人がほとんどいなかった。それは優しさ故である。またそれは、彼らが小さいときから大人から教わってきた知的(あるいは平和的な)人との付き合い方でもあった。仮に陰口を言わないとしたら、会話を全くせずに嫌いな相手と関わらなくなるというのが定石だった。僕はそうした優しいコミュニケーションは素晴らしいものだと思っている。少なくとも、僕が幼少期に体験したことを踏まえればそれは明らかだ。頭を殴られて血を流す人もいないし、椅子で背中を殴打する人もいない。暴力は暴力しか生まない。そう思うと、陰口はネガティヴなコミュニケーションとして、最も優れたものだと言えるかもしれない。
中学校の友人たちのそうした「エリート的なコミュニケーション」は高校生になってからも、大学生になってからも続いた。むしろ大学生になってお互いが離れ離れになってから、その傾向は顕著になった。それは僕も身を以って体感した。僕を含めた中学校時代の友人たちは、成人式をきっかけに二年ぶりの再会を果たした。そこでは誰もが心を躍らせていたし、僕も長らく話していなかった友人たちと顔を合わせられることに欣喜雀躍の想いで臨んでいた。しかし、そんな華やかしさは見せかけに過ぎなかった。僕はてっきり、この成人式を機にして多くの人が友人関係を恢復するものだと思っていた。
「あのときはしょうもないことで喧嘩したね」「前は俺たちも子供だったからさ」「これからは仲良くしようや」といった言葉を皮切りに仲が良くなると信じていた。ただそれは僕の思い込みだった。陰口をたたく。嫌いな人には一生歩み寄らない。そんなエリート的なコミュニケーションが存続していた。当然、僕はそれを全否定しない。中学生や高校生時代に起こったこととはいえ、いさかいの形は多様であるし、その背景はときに複雑である。だから、険悪な雰囲気が続いている人たちがいることも理解できる。でも、個人的なわがままを言うとするなら、僕はそうしたコミュニケーションは不健全なものであると思う。中学時代の友人たちが起こしたいさかいは、客観的にも主観的にも双方に落ち度がある。それは僕の主観かもしれない。でも、僕たちは人間であるから、お互いの人格に多少の粗があることは仕方がない。そのことについては、紛れもない事実であるはずだ。だからこそ僕は喧嘩をしても最後には
「あいつのこんなところには腹がたつし、それについては今でも許してない。でも、自分だってあいつをイラつかせているだろうし、取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない」
と考え合うのが、お互いにとって理想的な(半ば僕のわがまま)付き合い方であるし、そうした方が健全であると思っている。
成人式の折に、僕は佐藤とも再会を遂げた。他の友人とも会った。もちろんその中には小学校時代に喧嘩をしていた人が数人いた。しかし僕らの間で険悪な雰囲気が流れることはなかった。むしろ、「あのときは俺たちも子供だったな」と言い合い、親睦が深まった。それは中学校時代の友人とは対照的なコミュニケーションだった。僕はどうして、小学校時代に喧嘩していた友人とは仲直りすることができて、中学以降の友人とは仲直りすることができないのかが分からない。もっとも、仲違いした相手とまともに話すこともできなくなってしまったから、解を導くこともできない。ただ、推測はできる。思うに中学の友達は、優しさ故に充分なコミュニケーションができなかったことが、原因の一つだと僕は考えた。陰口や絶交は嫌悪を伝える方法としては最も賢いやり方だ。しかしこれらの手段は、友人関係において生じたひずみを深める。陰口は本人に伝わらないから、当事者はどうして喧嘩したのかが分からないし、相手に対する自分の落ち度も分からない。それどころか、こちら側の言い分を伝えることもできない。つまり、腹を割って話すことができない。だから双方の間にある溝は深まるばかりだし、時間が経ってもいさかいは終結しない。
殴り合いはその逆だ。拳に感情が乗る。双方の想いが十全にぶつかり合うプラトニックなコミュニケーションだ。だからこそ、僕は佐藤との間にはあった溝は一定の深さを保ったままだったのかもしれないし、再開した折に抱擁を交わすことができたのかもしれない。佐藤がそうだったように、僕は中学以前に出会った友人たちは殴り合いをすることでお互いの想いをぶつけ合っていた。そしてどちらかが倒れた末に、胸の裡を吐露する。そこから仲良くなることもあるし、ずっと喧嘩が続くこともある。ただ、拳を交わした相手とは気づいたときには仲良くなっている。
僕の言いたいことを総括すると、良好なコミュニケーションというのは高貴な優しさよりもむしろ、泥臭い殴り合いのことを指しているのではないかということである。もちろん僕は暴力には反対である。ニュースで見るような凄まじい暴力沙汰や殺人事件には胸を痛める。しかし、暴力を介したコミュニケーション(とりわけ学生レベルのかわいい殴り合い)は、背景に何かを伝えたい気持ちがあるのなら、純愛的なものであるし、結果的には最も有意義な感情伝達手段である。陰口や絶交は、嫌悪を示す手段としては、平和的で素晴らしいものだと理解しているけれど、そうした平和や素晴らしさは実は見せかけのものであると僕は考えている。
2024/12/17