危険と煙草を呑みながらpart5

インスタントコーヒーを飲みながら、煙草を吸った。煙草とコーヒーを啜ることが毎朝の日課になっていた。今日はイジェン火山に向かうツアーの初日であった。リュックサックに二日分の着替えと煙草と軽食などの最低限の荷物を詰めると、タクシーをチャーターして待ち合わせ場所のカフェへと向かった。カフェには既に、同じツアーを申し込んでいるドイツ人の男性が待っていて、ものの十分もしないうちに残りの外国人とガイドも集まってきた。今回のツアーメンバーは全部で7人だった。ギリシアからきた男二人やアメリカから来た女性、スイスから来たカップルなど多種多様な人たちが集まっていた。イジェン火山はジャワ島にある活火山である。バリ島からからかなり離れており、到着するには車と船を乗り継がなければいけなかった。そのため、まずはバンで八時間かけてバリの最西端にある港まで行った。港に着くころには、日が沈みかけていた。西の空は黄金色に輝いており、東の空は昼時の青さを残しているような空模様であった。船はかなり大きくて我々以外にも、ジャワ島に渡る人々で賑わっていた。甲板に備え付けられた椅子で出航を待っていると、人の叫び声と海に何かが落ちるような音が聴こえてきた。
 「行け!飛び込んじまえ!」
柵に捕まって外を覗くと、一人のインドネシア人が海に飛び込んだ。Vの字型の大きな水しぶきを上げて頭から海面に突っ込んだ。私はそれをみたとき、まずは海に飛び込む勇気に驚き、次に海の汚さに驚いた。水面にはそこら中に油が浮き、それがまだら模様を作っていた。とても入りたいと思えるような海ではなかった。海にいる男をじっと見ていたとき、さらに誰かが叫んだ。サブンという音に海面に白い波紋が広がった。また一人、飛び込んだのである。元気だなと私は思った。はじめは、自分だったらこんな海に飛び込まないと思っていたが、次第に海に入りたくなってきた。しかし、着替えを持ってきていないためそれは叶わなかった。私はエアコンの効いていない暑い甲板で煙草を吸った。一吸いか二吸いしたところで汽笛が鳴り船は岸から離れていった。さきほど、海に飛び込んだ男たちを港に取り残して我々はジャワ島へと進んでいった。
 ジャワ島についてからは、車に乗って火山の麓にあるキャンプ場に向かった。そこで夜ご飯を食べながら登山中の注意事項を聞かされた。イジェン火山は硫黄が取れる火山である。火口に近づけば近づくほど、硫黄の量が増えるらしく溶岩と炎によって燃やされた硫黄から二酸化硫黄が出てきているとのことであった。そのため、火口付近で人が死ぬことは珍しくないようで安全管理を徹底しなければいけないとのことであった。私はそれを聞いて、ますますしっかりと話を聞かなければいけないなと思っていたが、訛りが強すぎて説明をうまく聞き取ることができなかった。極めつけに説明をしている男が信じられないことを言い放った。
 「登山中に人が死ぬことは珍しくない。でも、君たちが死んだとて俺たちは何も知らない。責任も取らない。ガスマスクをつけたり保護メガネをつけるタイミングも君たちに任せる。」
なんて適当なんだ。こっちは金を払っているのに「死んでも知らない」はあまりにも無責任すぎるのではないか。俺の命はガイド料金の7000円と同価値なのかと思った。おまけに訛りが強くて何を言っているのかが全く聞き取れない。一生懸命に話を聞いていると、男はゆっくりとした口調になってこう言った。
 「登山中に最も気をつけなければいけないときがある。それはガスがこっちに来たときだ。もし、ガスが来たなら屈め。そうしないと死ぬぞ。あと、かがんでいる時も目を瞑れ。そうしないと失明するぞ。そして…」
 「かがんだ後は、いつ起き上がればいいんだ?」
ギリシア系の男が尋ねた。
 「そのまま、かがんでいると誰かが声をかけるからそれを待て。いつかは誰かが来るはずだ。」
やはり、あまりにも適当すぎる。こんな奴らが計画しているツアーじゃ命をたくさん持ってこないと登山を完遂することはできないと思い、イライラした。最後に「そこのアジア人がしっかりと話を聞けたかどうかが心配だ」と目を合わせて言われたが、私は「大丈夫だよ」と言った。強がったわけではなく、質問をしたところで言っていることが聞き取れないと判断したからだ。私は「死なないためにどうすればいいか」ということだけを同じツアーメンバーに確認した。すると、どうやら大切なことはすべて聞き取れているらしくて安心した。煙が来たとき以外は特に何もしなくていいらしい。私は、ちょっとだけ安心した。死ぬ確率は下がったなと思った。ただ、それは呑気な考えであったことを後に思い知らされた。
登山は深夜のトレッキングであるため、夜中の三時に開始だった。説明を終えたのが夜の11時頃であったため、宿で三時間ほどの仮眠を取って登山口に行った。あまり、眠れなかったが横になっているだけでそれなりに体力は回復した。登山口のベースキャンプで軽食を食べて、ガスマスクが配られるを待っていると雨が降ってきた。
これはまずいなと私は思った。普通の登山ですら雨が降ってほしくない。イジェン火山に至っては硫黄があるため、雨が降れば水と硫黄が混ざって亜硫酸がそこら中に広がることになる。止んでくれないかと必死に願ったが雨が止むことはなかった。むしろ、時間が経つにつれて雨脚は強まった。鬱屈とした気持ちでリュックと不安を抱えたまま、座っているとガスマスクと保護メガネと懐中電灯が配られ始めた。ついに、登山の開始である。今回は、雨が降っているということで上着と手袋も配られた。私は、必要なものがすべてそろったことを確認すると、ツアーメンバーと登山ガイドと共に力強く、一歩踏み出した。
 想定したいたよりも登山はきつかった。坂道はかなり急で運動をしていなかった私にとっては休憩なしには登っていけなかった。ちょっと休んだくらいだとガイドに追いつくことができるだろうと思い、休憩ポイントにあった椅子に腰を下ろした。靴は水を吸い込み、服もリュックもずぶ濡れ。衣類が水を吸い込んだことで体が重くなっていたように感じた。三分ほど休むと、呼吸が整ってきたのを確認した。私は、再び坂道に身を投じた。それから休憩せずにずっと歩いた。登れば登るほど坂道はきつくなり、道はぬかるんだ。荒い息遣いのまま山を登っていると、あることに気づいた。
 ガイドはどこに行ったんだ?ツアーメンバーは?さっきまで、俺の横にいたギリシア人は先に行ったのか?それとも、後ろにいるのか?
私は迷子になった。それも、知らない国の知らない火山で、だ。周りを見渡しても中国人しかいなかった。次の休憩ポイントでツアーメンバーやガイドを待ってみたが見つからなかった。私は、登山の序盤にしてガイドを失い、仲間を見失った。これはまずいことになったなと思いつつも、引き返すわけにはいかなかった。体力的にも厳しかった。それに、ゴールまで行けなければ山に取り残される。俺は、もう前に進むしかない。私は、はじめよりも遅い足取りで歩き火口を目指した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?