ディストピア3-5
中学三年生の9月は、まだまだ夏の名残があった。涼しくなったかと思えば、夏の暑さが最後の力を振り絞って、少年たちの背中をびしょ濡れにする日もあった。
私は、夏休みの怠慢と興奮を残したまま、学校生活を送っていた。世間の中学三年生は受験勉強に励んでいる、という教師たちの声をまともに聞かなかった。中高一貫校で、受験との距離が遠い私にとっては、勉強の大切さを理解することはできても、納得した形で受け入れることはできなかった。
「大会が近いから坊主にする」
放課後に嶋立がそういった。彼は野球部に所属しており、中学校最後の大会を控えているため、部の伝統に従って髪を剃るということだった。教室にいる私の同級生たちは彼の発言にさほど驚いていなかった。しかし、私にはそれがチャンスにしか思えなかった。
俺も坊主にしようかな。
私は部活には入っていなかった。ただ、年頃の男の子で同級生たちの注目を集めたいという想いはあった。そんな中で頭を丸くすることが当時の私にとっては同級生たちの注目を得るには最も簡単な手段であった。私は財布に入っているお金を確認した。中には、百円玉が二つと一円玉が数個しか入っていなかった。机上に無造作に積まれた教科書たちをまとめあげ、鞄の中にいれた。千円札を取るために、はやく家に帰りたかった。
廊下に出て下駄箱に向かっていたところで、嶋立が大きな声で何かを言っていた。私は踵を返して、彼の言葉を確かめた。
「よし!はやめに終わらせよう。」
部活に行く前で課題か委員会の仕事を終わらせるのかと思った。身を乗り出して、クラスメートの肩越しに嶋立の方を確認した。午後4時半。大半の生徒が帰宅し、人影も少なくなっていた。嶋立の近くでは、男たちが一人の人間を囲んでいた。中心にいたのは野球部の中谷で、彼は床に敷かれた新聞紙の上で正座していた。
何が始まるんだ?
私は肩からカバンを外して、その様子を見物していた。すると、一人が手に持っていたものを起動させた。モーターが回る音が教室中に響き渡る。彼が手にしていたのは、バリカンだった。瞬間、衝撃的な光景が私の眼の中に入ってきた。
中島の頭髪が、あれよあれよという間に剃られていった。黒い塊が新聞紙の上に落ち、そのたびに中谷を取り囲んでいた男子が笑った。
「もっと剃ろう!」
嶋立が断髪式をはやし立てた。そのたびに私は爆笑した。
「ちゃんと綺麗にやって!」
中谷は頭の毛を刈られることには、一寸の不満も抱いていないようで、むしろ綺麗に剃られるかどうかを彼は気にしていた。私は彼の精神が異常をきたし始めたのではないかと疑った。そうしている間にも、彼の頭は丸くなり、灰色へと変化していった。
それから五分と経たないうちに、中谷は坊主になった。彼を囲んでいた人の一人が、新聞紙をまるめてゴミ箱に捨てた。私は変わり果てた友人の姿と目の前で坊主になっていく姿に何ら疑問を持たない男たちに恐怖を感じた。
中谷の断髪式が終わると、男子たちは何事もなかったかのように荷物をまとめ、それぞれ部活に行ったり、帰宅したりした。私も床の上に置いていたカバンを肩にかけると、同じように教室を出た。この日は中谷が坊主にしたため、私は床屋に行く気になれなかった。今日行くと、明日の朝にみんなの注目が中谷の方にも分散するからだ。私は家路を辿り、千円札も取らずにその日はまっすぐと塾へ向かった。
翌朝、ホームルームが始まるまでの間に嶋立や富岡と話していると、何人かの男が驚嘆の声を上げているのが聴こえた。気になって、後ろを振り返って見るとクラスメートの小島が坊主にしていた。
お前も坊主にするんかい。
と私は思った。考えてみると彼も野球部だった。しかし、昨日の時点では坊主にすることなど一言も口にしていなかった。誰かに宣言するわけでもなく、まるでそれが当たり前であるかのように、頭を剃ってきた彼の態度が、私にとっては面白くて仕方がなかった。笑っている最中にある一つのひらめきが私の頭を過った。
もし、日に日に坊主が増えていけば、おもしろいんじゃないか?
この日より、私は坊主に取り付かれた。昼休みや放課後になると、より多くの人間が坊主になるように、友人に坊主の快適さを説いて回った。
まだまだ暑さは続くからこそ涼しい髪型にする必要がある。坊主にすると散髪代や髪を切る時間から解放される。気合が入る。住職と同じ髪型になることで無欲になれ、勉強に集中できる…など、時間をドブに捨ててありとあらゆる御託を積み重ねていった。ちなみに、この時点では私はまだ坊主にしていない。実際に、我々の間では次第に坊主が流行した。一日一坊主。朝学校に行くと、誰かが必ず頭を剃ってくる。そんな日々が一週間ほど続いた。ある日、友人の一人から「お前も坊主にしろよ」と言われ、私は二つ返事でそれを了承し、嶋立に床屋を紹介してもらうように頼んだ。すると彼は
「いい坊主屋さんがあるよ」
と言って、学校からバスで20分ほどの場所にある床屋を紹介してくれた。それにしても、坊主屋とは?と私は思った。確かに、床屋は散髪をする場所ではあるものの、坊主頭を打ち首刑のようにして売っているわけではない。一体、嶋立は日本語が不自由なのだろうかとさえ思った。
嶋立が床屋を紹介してくれたことで準備が整った私は、数日後にクラスメートの人たちに
「おれ、坊主にするわ」と宣言した。すると、これまで坊主にする意義を説いていたことが功を奏したのか、この日は「俺も、俺も」と後に続く声が三つか四つほど出てきた。
私はこのときを待っていた。このために日々、ゴミのような時間の使い方をしていたのだ。授業が終わり放課後になると、我々は例の「坊主屋さん」へと向かった。学校の最寄りのバス停から20分かけて街の中心に行った。バスから降りて、徒歩で目的地に向かった。途中、私は一秒でも早く頭をさっぱりさせたくなった。同行者のなかには、はじめての体験に不安を募らせている者もいた。外は暑い。信号を待っているだけで額に汗が垂れる。道の奥で陽炎がゆらゆらと揺れている。歩き始めて十分ほど経ったところで、我々は店についた。
店内は冷房が効いていて涼しかった。私は一緒についてきた松岡と共に、赤毛の男性店主に開口一番「坊主にしてください」と頼んだ。彼は快諾し、私たちは髪の長さを3ミリに指定すると、まずは松岡の方から散髪、いや剃髪をはじめた。
店主は慣れた手つきでバリカンを振るう。後頭部から襟足、頭頂部、前髪といった順番で髪の毛をそっていた。松岡に部活のことや坊主にした理由などを訪ねながら、作業を進めていった。そのときに、私はあることに気づいた。バリカンを使って人の髪の毛を切るのにも、ある程度の技能がいる。以前、中谷の髪を同級生が切った時は、坊主でありながらも髪の毛の長さに若干の差異があった。頭髪が濃い場所と薄い場所があり、それがまだら模様のようになっていた。しかし、今回の場合はすべての部分が均等に切られていた。私は雑誌とマンガが置いてある場所の椅子に座り、プロの技量に感心しながら友人が坊主になっていく様子を観ていた。
松岡の施術が終わると、次は私の番だった。
「バッサリいってください」
と、私が言うと床屋の店主はすこし驚いたような様子をした。途中、「今時坊主にするなんて珍しいね」や「野球部なの?」と聞かれたが、帰宅部だった私は「ただ坊主が好きで…。」と伝えた。彼は、この答えは予想していなかったのか、私がそう言うと、さらに困惑したような顔つきになった。
私と松岡が坊主になるにはそう時間がかからなかった。かかった時間はおよそ20分くらいで、値段も700円ほどしかかからなかった。我々は会計を済ませ、店の外にある駐車場で他に頭を刈りに行った複数人の友人を待った。
「めっちゃ頭が涼しいね」
松岡は案外、気に入っているようだった。
「でも、日光があたると、頭皮にじかに熱線があたるから暑いね」
私は金色の夕日に頭皮を焼かれながらそう言った。松元と嶋立が笑った。
「今日、俺ら以外に坊主にしたひとってあと誰がおるっけ?」
と私が言った。
「原島と里田と…あと鈴原だよ」
「てことは今日だけで五人も坊主になったってこと?」
私のクラスはおよそ30人くらいであった。つまり、一日でクラスの六分の一が坊主になったのである。しかも、その大半は坊主の風習がある野球部とはあまり関係がない。冷静になって考えると、本来は「反省」や「気合」といった文脈で使われるものが、ただの「流行」という低俗な動機によって、ここまで広がっている現状に私は首をかしげたくなった。中谷、小島…と一日に一人ずつ坊主男が増えていき、しまいには一日で五人も坊主になった。まるでアハ体験をしているとでも言わんばかりの光景であった。
他の床屋で散髪を終えた里田や鈴原、原島がやってくると、我々は最後に記念写真を撮った。カメラに向かって腕を組み、満面の笑みをした。写真をみると、白シャツに灰色のズボンという服装もあいまって、少年院から出所した五人の記念写真のようにも見えた。このときの写真は今でも持っている。記憶としても頭の中にしっかりと焼き付いている。九月にしては暑く、蝉の声が消えなかった。