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【ショートショート】僕にだけ聞こえる旋律

この作品はフィクションです。
実際の団体や人物は関係ありません。

朝の通勤ラッシュで混み合う駅のホーム。

スマートフォンの画面を覗き込み、早足で進む人々。

だが、その日は妙な静けさが漂っていた。

いつもならざわめきに包まれているはずのホームに、ギターの音が響いていたからだ。


音のする方に目を向けると、ホームの端に黒いフードを被った男が立っていた。

彼は古びたギターを抱え、ゆっくりと弦を弾いている。

まるでそこにいることが当たり前のように。

そして、驚いたことに、彼の周囲には誰も近づかない。

まるで透明な壁があるかのように。


僕はその男から目を離せなかった。

弾く音に不思議な力があり、心の奥に何かが突き刺さるような気がしたからだ。

そして、彼が静かに歌い出した瞬間、僕の足は動かなくなった。


「彼女は今も、僕の中にいる」と男は歌った。

その声は低くて優しいが、言葉には鋭い痛みが込められていた。

彼が誰に向けて歌っているのか、それはわからない。

ただ、その歌が何か大切なものを必死に訴えているように感じた。


歌が終わると、男は一瞬だけ微笑んだ。

「あの子に伝えてほしいんだ」と彼は言った。

「僕はまだ、ここにいるって」


僕は言葉を失った。

誰のことを言っているのか、なぜそんなことを僕に言うのか。

理解できないまま、彼を見つめていた。

すると、男はギターを肩に掛け直し、ホームの端へと消えていった。


その夜、僕は家に帰っても落ち着かなかった。

あの男の歌声が、ずっと耳の奥で響いていた。

そして、どうしても気になって、もう一度駅に向かった。


翌朝、同じ時間にホームに立つと、今度は誰もいないはずの場所に、男のギターがポツンと置かれていた。

僕は恐る恐るギターを手に取り、弦を弾いてみた。

すると、信じられないことが起こった。

耳元で、あの男の声が聞こえたのだ。


『次は君の番だ』


一瞬、手が震えた。

だが、目の前のギターは何も言わない。

ただ、静かにそこにあるだけだった。

そして、次の瞬間、僕は電車が到着する音で我に返った。

ホームに戻ったが、ギターを持ったまま立ち尽くしていた。


それから数週間、僕は何度も駅に通い、ギターを弾き続けた。

誰も僕に近づかない。

それでも、僕は弾き続けた。

なぜか、あの男の歌が伝えたかったものを、誰かに伝えなければならない気がしたからだ。


最後まで読んで頂きありがとうございました。


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佐藤直哉(Naoya sato-)
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