偽善の世界

日本は、偽善で成り立っていると言っても過言ではない。
それは、日本人特有の本音と建前。本音と建前があるからこそ、全ては偽善なんだよ。
これは、育っていく過程で無意識のうちに、刷り込まれていくから自分だけが偽善者なんじゃなくて、周りも皆、偽善者なんだよね。
偽善者は、この日本という国の中にいる人、全員が対象になるってこと。
あとね、偽善者って、偽の善い行いをすることって書くよね。
でもそれって、人間だから仕方ないのでは?
本当に本当の善者って、いないんだよ。どこにも。
だって、悪と善は、見方によって逆転を繰り返すから、本当の善は、存在しないんだよ。
あなたの行なっている言動は、心のうち全てが他人の為なのか?
1ミクロンも期待や見返りを求めていないと言えるのか?
それこそ、本当の善になるのは、人間である以上無理なことなんだよ。
絶対的な善はないの。
だって、心って闇と光が混在しているから。
全てが光だったとしたら、喜びも悲しみも何も感じないようになるんだよ。
それは果たして生きていると言える?
暗い闇はなんであるのか。
それは人の痛みを感じて、共感し、文明を発達させていくことが理由であるから。
闇が無かったら人間じゃない。
全て光でも、つまらない退屈な人生になると思う。
だからこそ、本当の善なんてないからこそ、人を自分を許してあげることが大切なんだと思う。
許すってのは、自分の中で反省と同時に、次に向けての対策を練るってこと。
誰だって間違いは起こす。でも、そのときにフォローがないと、大きな問題になってしまう。
謝るってのは、その行為自体が全部自己満足なんだけど、その自己満足をすることによって、相手も自分も許すってことに繋がるからだと思うの。
許すことは簡単ではない。
それは、過去に依存してるから。
私も過去に依存してしまっている1人だからよくわかる。
だからこそ、許していくことの大切さがよく理解できるのかもしれない。
自分を許す=自分を労わること
自分を労わる=他人を労わること
他人を労わること=世界を労わること
に繋がっていくんじゃないかな。
労わるってことは、許すってこと。
許すことは、その自分の手のうちにある過去の執着から、自らの手でその執着を手放すこと。
それは、何度も何度も手放せるまで、自分と向き合うこと。そして、時が解決することでもある。
そして、手放せることは妥協を覚えるってことだと思うの。
妥協は、諦めることではなく、ちょうどいいを探すこと。私の前の投稿にもあるようにちょうどいい距離を探すの。
妥協は、自分自身の中で折り合いをつけること。
折り合いをつけるってことは、自分が行ってしまったことや、やってしまったことの失態を、許すこと。
それは、あのときの自分にはこれが最適解と判断したんだと言う感じで、自分に全責任を委ねないこと。
あのときの過去の自分を信じてあげることだと思う。
でも、信じてあげて、反省をしなかったらそれは許すとは違う。
過去の中で、これはダメだったけど、これは自分の中での最適解だったんだよね。と分析することなんだと思う。
分析は大事。
分析できるようになるためには、言語化すること。自分の言葉で、そのとき何を思ったのか。その結果何をしたのか。
それが分かればあとは簡単。
その感情と向き合って、どう対処していくかを考えればいいから。適切な対処法を学ぶことが大切。
分からないことが分からない。にしてはいけなくて、分からないを分かる。にしてあげるのが言語化すること。
自分を許して、他人を許して、世界を許す。
世界は偽善だけど、愛はある。

って感じかなー。
今日も言いたいこと多いな笑
そして、これも全部私の偽善で書かれてるから、全てが正解ではないよー。
そして、私が感じたこと、考えたことだから、あんまり影響されない方がいいと思うよー。笑

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