支配の歴史を学んでどうする?
オヤジブログ怪気炎 vol.114
日本史の時代区分は政権の所在地名が付けられている。飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸・・この名付け方でいけば、今も江戸時代の延長なのだが、東京時代とは呼ばない。
知らず知らずのうちに、私たちは時の支配者と巧みな統治機構の仕組みについて学習している。学ぶべきは完璧な政治などあり得ないのだから、その矛盾と葛藤について考察を深めるべきなのだろう。
歴史という科目が暗記科目化していることを危惧して、近頃「歴史総合」という科目が新設された。何でも「近代化」「大衆化」「グローバル化」を軸に学んでいくのだそうだ。絶えず問いたいことがあります。
そもそも近代化って何? ポストモダン以降に敢えてなぜ近代化を学ぶのか。大衆化? 敢えて民主化と呼ばないのは、なぜなのだ。グローバル化は、とくに冷戦終結以降に地球規模で交流が進んだことだと思うが、これまた負の側面は大きい。
自らに問い続ける歴史学習でなければ、単に支配の歴史を学んでいた状況となにも変わらない気がしてしまう。