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古代のヒーロー 神功皇后と武内宿禰①

オヤジブログ怪気炎 vol.304

幼い頃の話。臆病だった息子(=私)が強く勇ましく育つことを願ってのことか、親父が五月人形を買ってくれた。今も我が家の押し入れ深くにあるのだが、すでに子どもと縁がなくなり、日の目を見なくなってしまった。
この五月人形。後ろに幟が何本も立っていて、真ん中で踏ん張っている髭を生やした人が鍾馗様。女性でありながら武者姿で馬に乗っているのが神功皇后。どう見てもかなりの老人であり、やはり馬上の人が武内宿禰だと教わった。
有名人らしいのでそのうち学校で教わるのかなぁと思っていたら、とうとう歴史の授業には登場しなかった。
神功皇后も武内宿禰も伝説上の人物であり、実在・実績を裏付けられないのでしょう。戦前の教育ではすべての学校で教えられ、お札の肖像にまでなっていた人が、一切教科書から消えてしまった。いわゆる皇国史観で天皇家の事績をなぞることが、歴史教育であったことへの反省であり、裏返しなのですね。
さらに神功皇后は三韓(朝鮮半島)を攻めた人であり、記紀によれば各国を降参させている。戦後韓国・北朝鮮が日本の支配下から独立するタイミングに、神功皇后の事績を教科書で讃えるのは極めて具合が悪かったのでしょう。
神功皇后とは邪馬台国の卑弥呼ではないかという説があります。今では年代にズレがあるので別人物とされていますが、江戸時代の人は信じ込んでいたようです。

ただ同じ神話上の人物であってもヤマトタケル(日本武尊)は、エピソード的に教科書に出てくるので、何となく不公平な気もします。

謎に包まれ、詳細が語られない古代。応神天皇の母である神功皇后が起点となって、百舌鳥・古市古墳群を建造する時代に日本は突入する。中国の史書にある倭の五王が、どの天皇を示しているのかさえ未だに確定しないが、応神天皇から雄略天皇に至る時代に一つの隆盛期を迎えていたのは確かでしょう。
新たな発掘によって、この時代の詳細が歴史として語られ、神功皇后の事績がより明らかになることを期待しております。

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