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趣味・娯楽と科学

オヤジブログ怪気炎 vol.35

個別指導をしている塾で、生徒と証明の学習をしていた時、和算の話になった。世界最高水準であった計算力が、なぜ広く利用されなかったのか? 所詮和算は趣味の閉じた世界で、誰にでもわかるように説明しようと展開する西洋科学のようにはならなかったのではないのか? などと学習の合間ではあるけれど、面白い会話になった。
今も日本の伝統芸能には、身内で楽しみ受け継いでいけば、それでよいとする傾向があるように感じます。ボクが「趣味」で弾いている琵琶など、微妙な音の変化や語り方を敢えて一般化しないで、個人芸の域にとどめてしまう。
西洋でも最終的には抜きん出た天才科学者や芸術家が新しい地平を切り拓いてきたのだろうけれど、そこに至るベース部分は教育によって共有化できるはず。基礎部分を共有化できるようになったのは、やはり科学の成果だと思うのです。日本独特の趣味娯楽は、今のままでよいのでしょうかねぇ?

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