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後漢の建武時代

オヤジブログ怪気炎 vol.203
世界史気になるシリーズ 23

日本の建武は鎌倉幕府が倒された後、後醍醐天皇による新政時期のことだが、ご本家中国では、劉秀(光武帝)により後漢が建てられた時代になります。新たな政治が始まったという意味では同じですね。
さて、劉秀こと光武帝のエピソードはなかなかおもしろい。いくつかご紹介しましょう。

刺客が首都に横行する時期においても、微行を好んで遠くまで外出し、狩などで遊んで夜中に帰ったため、家臣の幾人かにしばしば諫められた。あまりに繰り返されたため、怒った家臣に門を閉ざされて閉め出しをくったことが少なくとも2度ある。家臣に閉め出された皇帝というのは、聞いたことがない。閉め出す家臣もなかなかですが。

戦場では、多くの戦いで最前線に立って自ら得物を奮い、皇帝に即位後の鄧奉戦・劉永戦などでも、大軍を持ちながらなお最前線で騎兵を率いて戦った。まぁ、これはあまりにも危険な話で、国内が落ち着いてからは、戦争について口にすることもなかったといいます。

隴西の隗囂から外交の使者として来た馬援と面会した時、軽装で警護も付けずに現れた光武帝に馬援が「私が刺客であったらどうされます」と言うと、「そなたは刺す客(刺客)ではなく説く客(説客)だ」などと返している。この一言が器の大きな皇帝という印象を与え、隴西の隗囂は味方になるのです。

日本でもお忍びが好きな将軍がいたようですが、城や宮廷にこもっているのが、退屈だったのかもしれません。

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