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中国最初のカトリック教会

オヤジブログ怪気炎 vol.217
世界史気になるシリーズ 32

布教のためなら、世界中どこまでも赴き、教えを説く。日本に来たザビエルに先立つこと200年、イタリアから中国を訪れた最初の宣教師がジョバンニ・ダ・モンテコルヴィーノです。
彼は生涯二度の布教旅行をしており一度目はニコラウス4世の命を受けて中東イル=ハン国への布教。この国は、チンギス・ハンの孫フラグがアッバース朝を倒して建国した国で、当時はまだイスラム化していなかったのでしょう。
帰国したモンテコルヴィーノへのニコラウス4世による二度目の使命が中国の渡航。クビライの使者ラッバーン・バール・サウマの要請によるものだった。サウマは北京生まれでローマへ赴き、バグダードで死去。モンテコルヴィーノはイタリアで生まれ、北京で死去している。
けれどこの二人は辿ったルートが違う。サウマが水の補給に苦しみながら、タクラマカン砂漠を通ったのに対して、モンテコルヴィーノは、イルハン国からインド洋を渡りマドラス(チェンナイ)を通って北京に到達している。
1294年中国に到着した時にクビライは亡くなっており、継いだテムルはキリスト教に対してそれほど感心を抱いていなかった。そもそも中国には景教と呼ばれたキリスト教ネストリウス派がおり、カトリックであるモンテコルヴィーノは、自らが正統であるとして、景教を批判している。
1299年、北京に最初のカトリック教会ができる。身寄りのない子どもたちをサポートして、ラテン語の初歩や聖歌を教えた。さらに自らが中国語で説教できるようになると新約聖書の中国語翻訳に取り組んだ。
1303年ドイツ人宣教師がアルノルドが到着するまでたった一人で布教していたのです!

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