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シルウェステル2世と時計

オヤジブログ怪気炎 vol.219
世界史気になるシリーズ 34

時間に正確な人かルーズな人か、日本では人に対する評価の基準にさえなっている気がします。鉄道が2〜3分遅れたことで駅の構内や、車内放送か繰り返されるのは、到着地で乗客を待っている人に遅れた理由を正確に伝えなければならないからでしょうか。
中世ヨーロッパで時間に厳格だった場所は修道院でした。15分を単位として日課が組まれ、規則正しい生活することが義務化付けられていたのです。そのため高い鐘楼に鐘を吊り下げ、修道院の中だけでなく、市中の人々に時刻を知らせていました。
その頃の話です。ヨーロッパの人々は、教会の鐘の音で時間を知ることができました。966年、ローマ教皇シルウェステル2世(Sylvester II, Gerbert)が修道僧の時に、祈りの時間を村の人に知らせるため、教会の鐘楼に自動的に鐘を鳴らす機械を設置しました。これが、機械式時計の起源といわれます。
その後、イタリアの都市に鐘を鳴らす機械が教会や修道院、大聖堂の高い塔の上に備え付けられるようになり、文字盤を備えた時計も現れました。このため、英語の「clock」は、ラテン語の「cloccal(鐘)」に由来しているのです。
シルウェステルの学問における守備範囲は、とても広く後世に影響を与えているのですが、本稿では時計に冠するエピソードの紹介にとどめます。

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