言語過程説と音楽
オヤジブログ怪気炎 vol.18
故あって県立高校の入試問題を読んでいたら、時枝誠記(ときえだ もとき)さんの言説が紹介されていた。日本の言語学に新しい地平を切り拓いた方であります。
そもそも言語とは? 音声と意味が結合したものとして、辞書に掲載されている中身が言語だろうか? ボクは敢えて静的な定義と呼びたい。辞書に保管されているだけでは言葉として動き出していないのです。
言葉の定義に風穴を開けたのが、時枝誠記さんの言語過程説。表現と理解の間、コミュニケーション中で生きて働いてこそ、言葉なのです! 動的な定義ですね。
さらにボクは音楽にも似たような言説が当てはまると思います。楽譜やCD、動画の中に閉じ込めた音楽と生演奏でしか成立し得ない動的な音楽。すでに45年前、敬愛する福永陽一郎さん(陽ちゃん)が「演奏の時代」で書いている。さらには名指揮者フルトヴェングラーの考え方に行き着く。
動的な音楽、動的な言語を駆使して、豊かな生活を送っていきたいものです。