テンプル騎士団修道会
オヤジブログ怪気炎 vol.222
世界史気になるシリーズ 36
キリスト教会は、本来、非暴力・非武装を旨とする。それなのに武装した騎士団が修道会を組織したのはなぜか?
話は十字軍の時代、エルサレム王国が建国されて、当初の目的を果たすと十字軍に参加した兵士たちはヨーロッパへと帰っていってしまった。そこで問題になったのが、巡礼者の安全をどう守るか。巡礼者保護のために立ち上がった騎士がユーグ・ド・パイヤーをはじめ9人の騎士たち。それが騎士兼修道士のテンプル騎士団なのです。
彼らは宿舎用地として神殿の丘を与えられ、神殿=テンプルを名乗ったのです。歴史上彼らが成し遂げた事業として評価されているのは、彼らが持っていた資産や寄進された土地を換金し、国際的財務管理システムを構築したことです。十字軍遠征に参加するための遠征費を、自国で預託しエルサレムでテンプル騎士団から受け取るというシステムです。現金を持って遠い中東まで行くのは危険でしたから、うまいアイディアを思いついたものです。
12c〜13cにかけててテンプル騎士団は莫大な資産をつくり、それによって欧州から中東にいたる広い地域に多くの土地を保有した。そこに教会と城砦を築き、ブドウ畑や農園を作り、やがて自前の艦隊まで持ち、最盛期にはキプロス島全島すら所有していた。パリにあった支部はフランス王国の非公式な国庫といえるほどの規模になり、たびたびフランス王に対する経済援助を行っている。1146年にはルイ7世の命により王国の国庫は正式にテンプル騎士団に預けられる。
彼らの活躍に翳りが見えるのは、敗戦の末総長が捕虜となり斬首されたあたりからでしょう。また国家予算をほとんど握られているにも関わらず、彼らの莫大な資産を狙うフランス王の策略により、異端審問にかけられてしまいます。彼らは謂れのない濡れ衣を着せられ、追い込まれていくのです。ただこのような酷い話は、本拠地のフランスだけで他の国に展開していたテンプル騎士団は活動を継続できたようです。
テンプル騎士団には、フリーメーソンとのつながりを始め、さまざまな伝説が残されています。興味が尽きない騎士団ですね。